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腕に巻かれた時計

2014-01-15
孫悟空の頭に巻き付けられたリング。
どうやら「緊箍児(きんこじ)」と呼ぶらしい。
三蔵法師が経文を唱えると締め付けられ、
孫悟空は悪事をしないという物語設定だ。
身に付けるもので何かが変わるのは、僕たちも同じなのか。

暫く止まっていた腕時計に電池を入れるべく時計店を訪れた。「30分程度かかります。それと店舗でこの工程を行うと完全防水とはなりませんが、ご了承いただけますか。」という店員の説明を承諾した。待ち時間に本屋の棚を彷徨し、時計店に引き返すと腕時計が息を吹き返していた。他に身に付けるものと違い、時計には”生命”が感じられる。またそこに込められていた何らかの”物語”が再生し始めたような気持ちを覚えた。

日常では自動巻式の腕時計を使用している。この電池式を”蘇生”させたのは、秒単位での正確さを求める必要があったからだ。自動巻は毎日装着している以上止まることはないが、やや曖昧に時刻が進んだり、休日に放置すると月曜日に止まっていたりする。その”生きた”感じも嫌いではないのだが、秒単位までの正確さでは電池式に劣る。そんな他意のない理由で蘇生した電池式腕時計だが、何か忘れていた大切な感情までも蘇らせてくれた。

不思議な気持ちで、時計店を後にしてジムに向かった。身体のバランスやインナーマッスルを強化するプログラムに参加。自分の柔軟性がまだまだ劣っていることを自覚する。その後は、ツボ押しのリラックスクラスへ。昨日の長距離運転の影響か、眼精疲労からやや肩が凝る。十分にツボ押し器具を使用し、肩の固さを解放した。その後、サウナと風呂でリラックスした。そして帰り際には、火曜日担当のトレーナーさんの笑顔の挨拶に見送られてジムを後にした。

帰宅中の車の中で、急に聞きたくなった曲があった。これも腕時計のせいなのだろうか。なぜこのような道を歩いて来てしまったのか。曲が三蔵法師の経文のように、僕の左腕を締め付けるようだ。だが決して嫌悪し苦しむべき感情ではない。そこが僕と孫悟空の決定的な違いだ。約30分の道程を運転し帰宅した。しばらくすると他の部屋で携帯の着信音が。間に合わず切れてしまったので掛け直す。その友人のことばで、いまこの腕時計が蘇った意味が分かった気がした。

この電池式腕時計は、なぜ僕の手元にあるのか。
その過程を、今一度反芻する必要があった。
友人と語り合ったことばから、感じ取るものがあった。
腕時計が背負っている物語が、新たに創作されようとしているのだ。
腕に巻かれているという、身体装着が生み出す特別な作用がきっとあるのである。
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