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「ナヲ キクナ!」と言われたら

2014-01-11
新米教員が高校で初授業。
出席番号順に名前を言わせて行った。
9番までくるとうな垂れた生徒が一人。
「君、名前は?」と問うと、
「聞くな」と生徒は反発?

僕が落語の挿入ネタにしている、嘘のような本当である。新任で勤務した学校で、国語科の同僚の先生から聞いた話。「聞くな!」と反発されたと思ったその先生、「人を舐めるんじゃない!」とたいそう怒ったそうだが。するとその生徒、顔を上げて「だから・・・8番加藤の次で、キクナ ナオ(菊名 直)ですよ!」と返答し、教員は「うっ!」と言葉に詰まったという。

その国語の授業の次は「英会話」の授業。ベテランのネイティヴ講師が、「No9, Nao Kikuna!
FuMuu!」(「名を 聞くな フゥム!」)と涼しい顔で出席を確認したというからまた笑えてしまう。噺というのは、次第に「尾鰭背鰭が付いていく」ものである。果たしてこの生徒、本当に「直くん」だったのだろうかね。

落語は、本題たる噺にマクラを始めいくつかの挿入噺が添えられる。それが世相とか、聴衆の現在を映し出したりもする。僕のこの噺は、教員になったら「出席簿の名前確認は、事前に徹底しておきましょう。」という教員養成上の心得を聴衆たる学生に伝えるという”効用”もある。「名前の呼び方」に関する逸話やトラブルは、実は〈教室〉では絶えないのである。(それも、最近は深刻で、間違った名前を繰り返し呼び続けたといって、保護者が学校にクレームをつけたという”実話”もある。)

口承芸能では、次第に噺は変化して行く。ある種、「伝言ゲーム」の原理である。だが、その噺の核心が保存されていればいい。そしてまた「聞いた側」の中で、新たな意味付けが成されて行く。その繰り返しで噺の創造性は、更なる飛躍を遂げる。もちろん落語も、文字化されている場合もあるが、多くは口承である。その面白さ、曖昧さ、伝え聞くという方法を、僕たちは”文化”として大切にしていくべきであろう。

もっと〈教室〉に落語の要素があってもいい。
「笑う門には福来たる」
子どもたちが笑って学べる環境こそ、豊かさの象徴であろう。
「面白い!聞きたい!」という意欲を喚起する有効な手段を、
僕たちは文化として持っているのであるから。
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