「いいです。」「思います。」を豊かにするには
2014-01-08
「・・・いいです。」「・・・思います。」
小学生の作文に頻用される文末表現である。
実に無味乾燥で個性のかけらもないと感じてしまう。
なぜ〈教室〉での作文は、豊かな表現にならないのか?
大学院授業での発表で、現職院生から上記のような報告があった。例えば、その現職院生の勤務先小学校の6年生を対象にした調査でも、全文の約20%に「・・・思います。」が使用されるという。みなさんも作文には、「・・・思います。」を使用していた記憶はないだろうか。
文末表現をどう収めるかとうことが豊かでないのは、なぜだろうか。ましてや一応、論証を旨とする大学学部の卒業論文やレポートで、軽薄な内容に伴い「・・・思う。」などの文末を発見すると、実にやるせない気持ちになる。ある意味で、感情の露出を抑制されているためか、敢えて最後に「思う。」というポーズをとらないといけない、〈学校作文〉の限界があるのだろうか。「いいです。」と体裁合わせに書くのも、似たような傾向を呈していると思わざるを得ない。
TVニュースのインタビューなどでも、似たような状況を多々目にする。何らかの行事に参加した子どもたちへの「どうでしたか?」という質問への答えは、「楽しかった。」が殆どである。しかもその表情はあまり楽しそうでもなく、「インタビューのための答え方」に徹しているという印象が強い。「どうですか?」に対する答えが画一化しているのである。
「・・・思います。」は本来個性的なはずだ。
唯一無二の個人意見を言う場合、決定的な場面で使用したい。
実に豊かな内容の文末での「・・・思います。」は、決して陳腐ではない。
イチローの語りがそれを感じさせる。
要は文末表現のみならず、語る内容の豊かさが問題なのだと、僕は思います。
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