「朗読の理論と実践の会10周年記念シンポジウム」を開催して
2013-12-22
前ぶれもなく会場に声を投げ掛ける。果たして一人一人に届いているのか?
〈教室〉での「声」の存在を考えてきた10年間。
カジュアルな服装、参加者はすべて「さん」付で呼ぼう!
この会から巣立った多くの教員たちがいる。
ちょうど2001年頃であっただろうか。「しし座流星群」が大量出現し、巷間の話題をさらった。僕も東京の夜空を見上げて、いくつかの彗星を見ることができた。その時の「願い事」が今年叶った。それを「願い事」だと僕は信じて疑わないが、同時に自分自身の「意志」でもあると思っている。「願い事」をすれば、それは強固な「意志」となり、10年という歳月をかけて現実になるものなのだ。
少々、個人的な感慨を述べたが、中高教員として〈教室〉での「声」を検証し続けてきた10年間を経て、僕は今、教員養成の使命を帯びた大学教員となった。今僕が語れることは、この10年間で出逢った全ての方々から学んだことが基礎となっている。高校現場で『平家物語』群読を行うことに対する「危うさ」を指摘する批評的な態度。古典教材と「声」との関係性。「絵本語り」に読むことの始原を見出すこと。「漢詩朗誦」を教育現場で活かすための日中交流。中学校定番教材『走れメロス』を「声」で読む授業。拙著に含まれるこうした各章のテーマは、この研究会におけるシンポジウムに支えられてきたのだ。
2007年度を中心に展開した「早稲田大学ことばの力GP」があったことも、僕にとって幸運だった。俳優・朗読家・声優といった「声のスペシャリスト」の方々に出逢った。そのコラボレーションした講義から、「教育現場にもっと声を」ということを自信を持って声高に語れるようになった。そして早稲田大学教育学部に「授業に活かす朗読講座」という教職科目が設定され、初代担当者となった。その授業の受講生たちとの出逢いがまた、僕の「意志」を一歩ずつ確かなものにしてくれた。そこから巣立って今や現場の教員となっている若者たちが、「声」を基点とするこの会に、同窓会のように戻ってきてくれた。
「朗読は人をつなぐ」
この研究会を行って来て、僕自身の内部から自発的に出てきたことば。
それを、この日のイベントであらためて実感できた。
パーティーになって、僕の大好きな詩、谷川俊太郎さんの「生きる」の冒頭に、
各自が「今年の一番」を創作して付け合わせるという余興が行われた。
そして「現役」と「OBOG」組に分かれ3班を構成し連句式にことばを織り成して行った。
僕は、全体の冒頭になった。
「生きるということ
いま生きているということ
それは
自分の研究室の扉を開けるということ」
そして多くの参加者の「今年一番」が、
豊かな「声」によって投げ掛けられた。
そして会場を出たとき、
「これからの10年」が起動した。
「声」にこだわる新たな歩みが始まったのだ。
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