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「読書指導」について考える

2013-12-14
「読書」の経験ほど大きなものはない、
と自己の体験から痛感している。
いま僕自身がこの職業を選んでいることも読書のお陰だ。
また中高で国語力の高い生徒は例外なく読書好きであった。
そこで教員がすべき「読書指導」のあり方を考えた。

3年生ゼミにて、『大村はま国語教室』の中から適宜自分の興味のある分野の巻を選び、その内容の一部をレポートし自分なりの考えや実践のあり方を提案するということを始めた。最初に担当した学生が、「読書指導の実際」を取り上げた。「読書記録」とは「読書した本」を記録するのみならず、「読書したい本」も記録し、「読書生活」そのものの記録にする、という内容に対して、強制せず子どもたちが主体的になる「読書(生活)記録」を提供するにはどうしたらよいかという観点の提案がなされた。また教員が本を薦めることの大切さや、「読書新聞」制作の重要性も併せて報告された。

担当した学生は、大の読書好きである。日常の言動から、ゼミの中でたぶん一番の読書量を誇ると僕は推察している。それを育んだのが小学校の先生であるという体験も、この日のゼミで披瀝した。その先生は、大村はまの実践を読んだかのように同じようなことを〈教室〉で展開してくれたのだという。丹念に愛読すべき本を、〈教室〉で紹介し続ける。まさにそれは教員自身の読書生活が問われることになる。こうした教員の存在が、またあらたな読書好き教員を生む種を蒔いたことになる。共感や感性の豊かさは、読書を通じて後代に伝えていくことができるのだ。

小中学校での典型的な「読書指導」の形式として「感想文」が挙げられる。どなたでもたいていは、夏休みの宿題として経験したことがあるだろう。だが、それによって読書する意欲が促進されたかは、甚だ疑問なのではないだろうか。ゼミ生の中でも、次のような意見が出た。「感想文」をある主旨で書いたとしても、教員の嗜好によって内容面に至るまでが添削されてしまい、思ったことを書いた感想文は原型を留めなくなるということだ。やはり現在の大学生世代に於いても、〈学校〉で書くべき規範的な「感想文」の方向性があり、本心から「言いたいこと」は書けないのである。まさしく建前の「主体的」という教育理念が空虚に響いているのである。

読みたい本を読みたいように。
幼児期の発見する悦びを継続的に育てて行きたい。
多様な世界観に読書を通じて触れて行く。
まさに意欲的に読みたい心を刺激して行く。
「国語」という「教科」を改編し「文学を楽しむ活動」があってもよい。
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