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「ふるさとは遠きにありて・・・」逆転の自覚

2013-12-09
幾山河越えさり行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅ゆく(若山牧水『海の声』より)


自己の”生活”いや、人生拠点はどこか?安寧な日常ではあまり自覚しないこと。だが、ふとした逆転現象に出逢うと、唐突に浮上して来る心情でもある。昨日来、「旅」について色々と考えさせられているが、冒頭に記した牧水の短歌にあるように「幾山河越えさり行かば」の「終て(はて)」に置かれている現在において、予想もしない自己省察する機会があるものだ。そこで感じる一抹の「寂しさ」は何だろう?

松尾芭蕉『おくのほそ道』冒頭に典型的に記された思想、「月日も旅人であり、人生そのものも旅」なのである。「大学教員になりたい」という「旅」の大きな目的地に向かい、「幾山河」を甚大なリスクを抱えながら「越え」て来た結果、今の僕がある。何度となく精神的に追い込まれ、周囲からも不安視されたが、それでも敢えて「幾山河」の道を選んだ。そのはてに「ふるさと」を離れるという、人生で初の貴重な経験をするに至っているのが現在だ。

昨日の小欄に記したように、勤務地を開催県として「全国大学国語国文学会」が開催された。大学院在籍時に、指導教授の研究室が開催校となったことがあり、その際に研究発表もさせてもらった思い出のある研究学会である。東京在住時は、都内の大学で研究学会が開催されることが多いため、何の疑いもなく利便性を活かして参加していた。それでも中高教員のときは部活動や学校行事等で、なかなか土日の研究学会に足を運べないことも多かった。

今年度も東京や大阪で開催される研究学会に、何度か出張機会があった。だが今回は、都会で行われる際に会っていた先生方が、僕の勤務地を訪れている。そこで取り交わした何気ない会話から、あらためて僕が「都」から「鄙」に拠点を移したのであるという意識が高まった。研究学会という「枠」が移動してきたことで自らの立場が、逆転という視点から、強烈に自覚されたのであった。

研究学会の全日程を終えて、懇意にする先生方とも別れ自宅に戻った。するとまさに「寂しさの終て」に自分が置かれていた。懇談の中で交わした「(東京から)1400Km」という数字が自分の背中にのしかかって来た。「ふるさとは・・・」「父母は・・・」という詩歌的感情が去来し、身動きができなくなった。しばらく座り込み何もできない時が過ぎて行った。僕はいま、何処で何をしているのだろうかと・・・。

暫くして携帯の呼出し音が鳴った。この地で出逢った友人からだ。その声にまた救われた。僕の置かれている日常が豊かであることが自覚できた。いま此処に居住することで、また新たな夢に歩み始めていることが次第に理解されて来た。ささやかな会話であるが、その温かみに「寂しさ」が「悦び」に変化して行った。

冒頭に掲げた牧水の短歌の結句に曰く、
「今日も旅ゆく」なのである。
ゆえに再び新たな「幾山河」を「越え」ることになるだろう。
その「前進」を讃えるメールが夜になって届いた。
「夢には必ず次頁があるものだ」自分に言い聞かせるように返信した。
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