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「旅」を再考する

2013-12-08
わが妻も絵に描きとらむ暇もが旅行く吾は見つつしのはむ(『万葉集』4370防人歌)

緑濃き曼珠沙華の葉に屈まりてどこにも往かぬ人も旅人(伊藤一彦氏『海号の歌』)

いくつもの落蝉を見て秋に入る 落蝉は旅の眼をしてゐたり(小島ゆかり氏)


中西進氏による基調講演「円環の思想」では、「旅」の語源が「賜ぶ」に由来し、「貴い人から何かをいただく」という説や、「たむ」から「回る」という説などが紹介され、「旅」に「円環」の思想が見出せるということが提起された。特に「手枕」という語は、「愛する人の手を枕に寝る」という意味であり、旅に掛かる「草枕」という枕詞が単なる修辞句ではなく、「手枕」の対象語としての美称であるという考え方には興味が惹かれた。「旅」ゆえに「草」を「枕」に寝るのであり、それは愛すべき人のいる「家」で「手」を「枕」にすることが意識されてこその、「旅」の修辞句となるのである。更に「石枕」となれば、「客死」さえも連想させる語彙となる。古代の旅は命懸けであり、その旅路たる過程が重視されたというのも、現代人が再考すべきであることを思わせた。

その後、冒頭に掲げた『万葉集』歌などについて辰巳正明氏による報告。『万葉集』が発見したのは、「神」「愛」「死」であり、更に「名所旧跡」「風景」「旅愁」「自己省察」「自由」などが『万葉集』歌から読み取れるという。次に歌人・伊藤一彦氏による若山牧水の旅の歌に関する報告。牧水の「なにゑに旅に出づるや、なにゆゑに旅に出づるや、何故に旅に」といった素朴な中に「旅」の語り尽くせない魅力が見出せるという。また「終りたる旅を見かへるさびしさにさそはれてまた旅をしぞおもふ」といった歌には、基調講演で中西氏が述べた旅の「円環」たる思想も読み取ることができる。あらためて牧水の歌の深い魅力が語られた内容であった。また、歌人・小島ゆかり氏は、歌の調べの魅力を製作する立場から語り、いくつかの名歌を紹介しながら、なぜ歌人は「旅」をするのかといった観点が紹介された。宮柊二『忘瓦の歌』に所載の「峡沿ひの日之影といふ町の名を旅人われは忘れがたくす」という歌の流行性については、下句「旅人われは忘れがたくす」を使用すると上句を変えれば多様な旅の歌になるという現代版類歌の発想が紹介されたのは、個人的に興味深かった。

全国大学国語国文学会冬季大会のパネルディスカッション、
「旅の歌の魅力」の覚書を記した。
十分に語り尽くせてはいないが、あらためて「旅」の歌を再考してみたくなった。
「人生」そのものが「旅」とは言い古された発想であるが、
その目標よりも過程にこそ魅力が満載されていることを忘れてはならないだろう。

となると「今」そのものの魅力を発見するのが、
「生きる」ということなのではないか。
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