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「疑問」からこそ学ぶ意欲は醸成される

2013-12-07
提供された情報をどのように受け止めるか。
首肯くか疑問を抱くかまずは留保するか?
最低限、「鵜呑み」はしたくないものだ。
往々にして知識詰め込み型教育は呑み込むことが肯定される。
だがしかし、「疑問」なき学びに意欲は醸成されない。

「歴史」の授業が考えやすいかもしれない。通史的時系列に教員が知識を羅列して板書し、学ぶ側もそのままノートに視写し、その後説明が添えられる。一定の年代の方ならば大概が、このような歴史授業が思い起こされるのではないか。通史的であるがゆえに、現代史はほとんど授業で扱われる時間はなく、第二次世界大戦ぐらいまでを、大正昭和などは付け加え程度に扱って日本史の授業は終わってしまう。もちろんこの”型”に嵌らない”理性ある授業”を展開している地歴科教員も多いだろうと承知の上で、敢えてこんな”鵜呑み羅列型”教育のあり方を引き合いに出しておきたいと思う。

「なぜ?」「どうして?」という疑問から発することが学びの原点である。「なぜこんな事件が起こってしまったのか?」とか「なぜこんな法律が制定されたのか?」と考えることこそ肝要であり、「武家諸法度」とか「墾田永年私財法」などという法律の看板たる名称を覚え込んだとしても、ほとんど後の人生を豊かにするものにはならない。「将軍直令」による「幕府法」であり、徳川による長期政権の根底を堅守した武家統制の為の法令である、と理解することで江戸時代の骨格が見えて来る。奈良から平安時代への変遷の中で、「荘園」が発生する根本的な原因となった法令という理解が、「私有地」とは何かという思考を発動させる。武家や貴族による社会がなぜ構成されたか?という疑問から歴史を眺める視点を育むべきであろう。つくづくそのように歴史を学びたかったという悔恨が、頭から離れない。

そんな歴史の学びがあれば、目前で強行によって制定されてしまった法律が、多様で緻密な議論もせずに乱暴な過程で成立したことへの疑問を、多くの人々が持つのではないだろうか。諸方面の有識者から疑問の声が上がり、また国会前を始め全国で反対という民意が決して一部でもなく、ましてや「テロ」などという愚弄な物言いにはまったく該当しない公正な手段で訴えられていたことが、「強行」の二文字で無視されたのである。決して「多数決」が民主主義ではないことを、僕たちは学んでいる。小学校でも「少数意見の尊重」ということを学級会でよく口にしたのを僕自身は思い出す。数年前に「KY」という語彙が流行語となったが、そのあたりから「多数に従って当然であるという空気」感が愚かにも社会に蔓延してしまっていたのである。その根本的な発想の構築に、従順な「鵜呑み」をよしとする教育における諸要素が影響していると、ついつい考えてしまう。

なぜここまで「強行」したいのか?なぜ反対意見を訴える公正な手段を罵倒する必要があるのか?国民が選んだ政権が決めているから仕方ないのか?本当に国民が選んだ政権といえるのか?連立維持のために党の根本理念さえ捩じ曲げている政党もあるのではないか?選挙で政権交代を選択したとき、国民はその後の期待外れな運営を批判し続けたのではないのか?選挙で選んでもその後に行われた暴挙を批判せずして、真の信任といえるのだろうか?「決める国会」というのは、こうした姿勢への期待であったのか?疑問は数限りなく乱立する。

問題は今日からである。
現代は幕府直令な江戸時代ではない。
成立した法律を世論がどのように監視していくかが肝要であろう。
強行の陰に更なる暗躍が潜んでいないように、いや潜ませないように、
僕たちは、「注意深く拒む」姿勢を忘れてはならないだろう。
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