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“私的”メール使用法

2013-12-03
メールにも様々な表情がある。
事務的な連絡事項。
時間に遅れるという小さな謝罪。
言い忘れたことを添えるささやかな感謝。
こうして分類できない心の表出、等々・・・。

メールが主要な伝達手段となって、どれほど経つだろうか?当初はPCのみで、大学院在籍時だったので、大学やゼミ関係の連絡がメールを媒介に始められるようになった。次第にゼミ資料などが添付され、利便性が高まることで様々な変化が起きた。(ゼミ資料は、発表当日までではなく、前日あたりまでに仕上げねばならなくなった。)こうした仕事に関係するような場面から、メールは更に枝葉を拡げて行った。

仕事や研究上であればことばの範囲は一定であった。やはり携帯メールが手軽に使えるようになって、ことばの軽重度が幅を拡げたのだ。小さな即座に消えてしまう会話程度のことから、生き方の方向性を決めるような内容を相手に切実に伝えることまでに至る。もちろん、その範囲にも個人差が大きいであろう。だが今思えば僕の場合、携帯メールというツールがあったことで、現在の位置に至ったほどの大きな出逢いがあった。そこに刻んだ洗練されたことばの深さには、自らが納得する内容が多々あった。メールによって、ある種の文章能力が培われたといっても過言ではない。

それだけに、メールの文面にもこだわりが強い。たぶん自分基準で考えると、ついつい”洗練”されたものを相手にも求めてしまうこともある。絵文字も使用せず、ただただことばの深浅を意識して、心のあり様をメールの文面に載せる。ある意味で、相手に伝えるという第一次目的と同時に、自らの今を知るという第二次目的が作用している気さえする。その証拠に、自らが刻み込んだメールの文面を反復して読み返すことも多い。そこに自己理解があり、伝える相手に対する感情を自ら捕捉する効用がある。すると固着していた感情の錯綜が、ふと解き放たれる瞬間に出逢うこともある。

貰ったメールを、数えきれないほどに読み返したいとき。
自らが返信した文面も、やはり何度となく読み返す。
そこに生まれる「対話」から何かが始まる。
面と向かって言うことと、メールで言うこと。
それぞれの相互作用を楽しむ。
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