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「国語教育」と「日本語教育」の交流

2013-11-29
一般の方からすれば、
「国語」と「日本語」の何が違うのかと思うだろう。
だが、日本の学校現場での教科名は「国語」である。
「日本語教育」と言えば第二言語としての日本語習得を指す。
壺のような「国語」の深度は甚だしく、多様な交流は未だ十分ではない。

大学院授業で、言語学を専門とする先生との複数教員担当科目がある。後期となってから「国語」を専攻する大学院生にも「日本語教育」における言語学的な分析を考察した研究内容を知ってもらう為の機会を模索していた。そこで、「日本語教育支援」を専攻とする外国人留学生の修士論文中間発表を授業内で実施する計画を進めて来た。その上、言語学研究分野で他大学の先生も招いてという、実に多様な参加者によるコラボな空間が出来上がった。

発表内容の詳細を小欄に記すことは避けるが、「動詞」や「助詞」の問題について外国人留学生なりの視点により、日本語の一側面が分析された発表であった。特に「談話」分析となると、「国語」という教科の中で意識すらされないのではないかという反応が、院生からの質問・感想・意見の中に顕然としていた。

国語教育の領域として〈話す 聞く〉がある。様々な内容を発表したり話し合ったりする学習活動が行われている。その多くは「内容」の交流に重点が置かれ、「談話」レベルで適切な表現か否かという子細までは問題にしない場合も多い。誤解を招かないように述べておくが、むしろ「国語教育」では、「書き言葉」に近いレベルで〈話す 聞く〉が行われているということである。特に「自然談話」という学習者の日常性に根ざした表現に関しては問題にされない。となると〈教室〉では、まさに「学校談話」とでも云うような形式的に自然でない建前に依拠した〈話す 聞く〉が行われているということだ。このあたりに、多様な表現力を養い得ない「国語教育」の限界が垣間見える。

僕自身も、まだまだ「日本語教育」に関しては勉強不足であるが、「国語教育」の改革にあたって大変重要な示唆を得られる時間であった。大学院時代に、海外へ行って日本語教育に携わりたいという願望を抱き、その基本的な理念や授業実践を学んだ頃のことが思い返された。少なくとも、「日本語教育」のあり方そのものが、「国語」という教科教育の閉塞感に風穴を開けるのは確かであろう。もうそろそろ、「国語」という思想の呪縛から解き放たれる方向を目指すべきではないか。

週末にかけて数日間、
このような交流機会が続く。
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