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「動静」の隙間

2013-11-27
「停止」・「静止」・「沈黙」が怖い場合がある。
例えば、〈授業〉などがその好例だ。
素人落語を習得した際もそうだった。
だが決して何もない空白の時間が悪い訳ではない。
濃淡が付けば動いているときを映えたものにする。

数日間、やや「静止」したかのように小欄のことばを刻んだ。時間的余裕がなかったのもその一因だが、日頃から無配慮に冗長なことばを垂れ流していないかという省察をする意味で、よい機会となった。どんなに余裕がなく身辺環境に喧騒が訪れていても、ことばを刻まない訳にはいかなかった。

冒頭に記したように、ひとたび歩み出すと「立ち止まる」ことにも勇気がいる。「停止」という語彙にはまだ「動き」が含有されるが、「静止」となると微弱な「動き」さえ封じられた感がある。いわゆる「立ち行かない」という事態を迎え、不安と恐怖に身を曝すことになる。

それゆえに微量でも動き続けることは、不安を消し去るには好都合である。その際に、少々引き返してみるとか、左右上下を見回す心の余裕が欲しい。自分の位置を確かめつつ、動き続ける。次第に不安は解消しまた再び希望の光が見えて来ることが多い。「静止」したとしても、ストレッチをするかのように動かさずに刺激を与え続け、生命の種火はどんなものなのかを見極めるのもよい。

数日間、両親と時間を共有して考えたこと。
未だ一歩一歩着実に歩もうとしている二人のことば。
そこから僕自身の人生を感じ取る時間。
大きな変化を恐れずに歩んで来た今がある。
「静止」にも刺激があり、再び大きな前進をする力が宿っているものだ。
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