都会の水は辛いぞ?甘いぞ?
2013-11-17
故郷の光景。住んでいた空間の移譲。
様々な思いを脳裏に抱きながら、
都会の谷間で自己を見つめ直す。
都会の水は辛いか?甘いか?
幼少の頃から野球が大好きであった。日本プロ野球のメッカとも呼べる場所まで、家から自転車で行くことができた。そこには長嶋茂雄・王貞治という正真正銘の本物がいた。日本シリーズの宿舎となっている場所まで出向き、王貞治に握手してもらった少年の日の思い出は、その後、野球少年の心を支えた。野球のみならず、友人らとプロレスを観に行くこともあった。世間にはプロレスと云う娯楽スポーツを”演技”だと揶揄する方々に接することも多いが、本物を観ればその揶揄が恥ずかしい行為であることがすぐにわかる。無条件に楽しめるのである。
そんな都会の”スポーツ文化”的な場所に、温泉施設がある。長年気になっていたが、これまで一度も利用したことはなかった。物は試しと思い仮眠室もあるというので、今回は利用することにした。その第一印象は、温泉水の”辛さ”である。”辛さ”というと語弊があるかもしれないが、確実に”しょっぱい”のである。これを舌で感じたとき、この都会は元来、海であった場所も多く、その地層からして臨海な状況であることを体感した思いであった。そこにいくつもの台地があり、坂が多く存在するのは周知のことだ。
海水を多く含んだ地下水の上に、丘と渓谷が連続している。少年時代にギア付き自転車で昇降を繰り返した坂道は、こんな地形的生成の歴史に根ざしていた。それにしても”辛い”と感じる温泉水に、ある種の象徴性を感じざるを得なかった。僕の生育とともに変化し続けて来た東京という街。また再び2020へ向けて、「特区」としての偏向した発展が予定されているように見える。このあまりにも”塩辛い”地下からの温泉水をもってして、世界中の「螢」が納得する”甘い”水のある21世紀発想の夢舞台が果たしてできるのであろうか。祭り的な喧騒のみならず、平和と文化とを世界に発信できてこそ、GDP指標のみで競って来た、世界の先進国たる面目を躍如できるのではないのだろうか。
そんなことを考えながら、この5年間ぐらいいつもお世話になっていた、スポーツジムのトレーナーさんのレッスンを受けに行った。相変わらずレッスン開始前からスタジオ前には長蛇の列ができ、その人気は高い。流れるようなレッスンの流暢さ、コメントの的確さ、個々の参加者へのケア等々、参加中には時間を忘れるほど豊かな心にさせてくれる。これこそ”甘い水”の実例なのではないかという納得をした。同時にそれは都会だからこそ成立する価値観なのでもあると気付いた。僕が現在通っている地方のジムは、素朴さに満ち溢れている。それゆえに水は、都会と違う味によって、十分すぎるほどに”甘い”のである。
僕自身の味覚が変わったのである。
数日間の都会滞在中、鼻炎気味な感じがあった。
居住地に帰着するとすっかりムズムズ感は消失していた。
自然が放つ空気と水が美味い。
都会とのコントラストが、今現在の僕の感性を炙り出すのである。
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