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ことばの危うさに敏感たれー知覧を訪ねて

2013-11-11
ささやかなメールのことば。
それだけ安眠に誘われることもあるが。
激しく書き付けられた魂の叫び。
そのことばは本心なのか否か?
展示されたことばの数々を読んだ衝撃。

研究学会で鹿児島へ出張したので、一夜明けて参加した大学の先生方6名と院生ら2名とで知覧へ観光に行こうということになった。個人で行ってみようかと考えていたが、ちょうど先生方との懇親を深める大変よい機会となった。早朝から雷鳴を伴う激しい雨であったが、鹿児島中央駅から知覧までバスで約1時間。その間に雨も小やみとなり、知覧の武家屋敷に着いた頃は、ちょうど良い風情であった。

知覧といえば第二次大戦時”特攻”の最前線基地である。他の土地からここに多くの若者が集結し、尊い命を南海の海上に散らした。その慰霊と後代へ記憶を留めるために特攻平和会館がある。屋外に置かれた当時の戦闘機のレプリカを観るに、もはや複雑な心境にさせられた。そして平和会館内へ。

そこには数多くの遺品が展示され、「第何次攻撃隊」ごとに多くの特攻隊員の遺影が展示されている。その展示の中でも、遺書に書き刻まれたことばの重さには、僕の心に突き刺さるものがあった。果たして、本心でこのことばを書きし記したのであろうか?たかが70年近く前の若者たちは、命に対してこれほどまでに現在と違う捉え方がなぜできたのか。時折、そのことばの衝撃の度合により、涙腺が緩んだ。

ことばとは、かくも危ういものなのだろうか。それが僕の正直な感想である。何のために己を絶つ意志をことばに刻み、納得したように装い、建前を振りかざして、帰らぬ出撃をしなければならないのか。その数々の遺書を書かせた、無謀なる権威的支配力とは何なのだろうか。ことばの扱い方そのものを、いわゆる”空気”が支配しているのは言語社会学的な考え方であるが、その”悪質な空気”を蔓延させ、尊い命を奪った”魔物”に対して、僕たちは永久に注意深く拒み続ける必要があるのではないだろうか。ちょうど僕たちが見学している時間帯に、若き自衛隊員らが迷彩服で見学に訪れていた。彼らは、特攻隊員らのことばをどのように受け止めているのだろうか。

この特攻平和会館に眠る魂に報いるためにも、
僕たちの責務として、ことばに対してどこまでも慎重でなければならない筈だ。
この知覧は陸軍の基地であるが、やはり「永遠の0」の内容が反芻された。
来月にはロードショーも封切りになる。
こんな話題を夜になって友人とメールで交わし、この日の眠りに就いた。
「夢溢る世の中であれと、祈り。」(サザンオールしターズ「蛍」より)
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