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陰陽境界線

2013-11-02
陰があるから陽がある。
陰=「地・女・月・夜・静・暗」
陽=「天・男・日・昼・動・明」
古代中国の易学の考え方。
すべての存在の根源。

月があらたまり、今年もあと2カ月。既に10月からチラシを貰っていたが、「年賀はがき」という語彙を眼にする時季となった。だがまだ準備をする気には到底なれない。年のうちにしておきたいことが、山積しているという心理からであろう。かつて僕の親友は、10月頃から年賀状のデザインを考える習慣があった。それもまた計画的という観点からは、妥当な行動といえるのかもしれない。

月の終わりを「尽日」と云う。月があらたまると、気持ちも一新するのは人の世のさだめか。あと2カ月という切迫感が、余計に行動の精度を高めようという決意を煽る。それにしても「尽日」を経て何が変わるのだろうか?手帳の表示色が変わる、前月の勤務表を提出する、等々公私ともに意識や行動に移すべきこともある。人事と自然の調和を鑑みて人は、様々な境界線を引いて来た歴史がある。

確かに陰陽の調和によって何事も成立している。その「関係性」が物事の成立する根源ともいえる。すべての変化は、陰陽の消長過程によるものである。それはある意味で”自然”の言説化でもあり、思考の基礎ともなり得る。その上で、陰陽の対称性から生じる第三とも呼ぶべき中間層のような位置を認識することも可能だ。「夜のような昼のような」「静のような動のような」「暗のような明のような」そんな”層”のあり様を認める眼も必要になるだろう。

僕の場合は、明らかに「動」から「静」に。
野球のシーズンが終わったからだ。
だが未だ中間層にいるのかもしれない。
日本プロ野球もあれば、キャンプも味わえる土地にいる。
陰陽を様々に往還してこそ、人生は面白く豊かになりそうだ。
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