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「書くことの意義」再考

2013-10-30
なぜ小欄を書き続けるのか?
ふと毎朝の己を再考してみる。
期間にして4年と1ヵ月が経過した。
ほぼ毎朝書いている。
その意義とは?

昨日紹介した宮城教育大学・相澤秀夫先生が講演において、「書くことの意義」を6項目挙げていた。その項目を見るに、学校教育のみならず我々にも該当すると思いつき、小欄のようなブログを書くことの意義について再考してみようと考えた。

「1、立ち止まって、自分と向き合うこと。」
毎日毎日の時間は、流れるように進む。年齢とともにその速度が早くなった、などと感じる方も多いであろう。時間の潮流の乗っていると、己が見えなくなることがある。そこで1日に1回ぐらい、自分と向き合う為に立ち止まる必要性を感じる。小欄のテーマとして「心を空にして先入観をなくしていけば、・・・」としたのは、自己観察の意味合いが大きい。

「2、自分を確かめること。」
昨日1日で、自分は何をしただろう?何も成果主義に陥るわけではないが、己の命を燃焼させた尊い1日を確かめてみたくなる。感じること考えることは次々と顕然とするが、すぐに去来していくのも世の定め。『方丈記』冒頭にあるように、「1日」(人の生)=「よどみにうかぶうたかた」なのであるから、その「泡」のごとき己を確かめたい。

「3、優れて考えること。」
小欄を書こうという意志があると、日常から様々なアンテナが張り巡らされる。たとえば些細なことばでも辞書を引き調べたくなる。友人と会えば、その関係性について客観的に分析したくなる。「文学」「教育」を始めとして「生きる」ことから「野球」まで、己のアンテナで受信した物事を、一段高級なところから思考することができる。

「4、感性を豊かにする。」
季節の移ろいに敏感になる。小説の一文に徹底的にこだわる。巷間で人々の行動のあり様と自己の感性を比較するようになる。発せられた「ことば」をテキスト分析するかの如く解釈するようになる。日常で発生した感情は、すぐにことばとして切り取りメモ帳やスマホに記録する。豊かな知的生活となる。

「5、一過性の体験を一生の財産にして、経験に高める力がある。」
小欄でいえば、「生きる」や「邂逅」の項目が特に該当する。そこに記した喜怒哀楽は「一過性」に過ぎない。だがしかし、「書くこと」で一生の財産になる。現に僕自身は、1年前の今日は?などと考えて小欄を遡って自分で読むことがある。そこから教わって未来への道が拓けたことは幾度もある。もちろんその1日の「余滴」を、研究や授業の”ネタ”にすることも多い。

「6、自分の存在を他に示すことである。」
日記帳なら自己と対話するだけであるが、小欄のような場所なら多くの方々と対話できる可能性がある。決して「アクセス数」にこだわる必要もない。(こだわっていたら物事が歪んで見えるかもしれない。)一人でも数人でも読んでくれる方がいれば、ぞれは己を「他に示す」ことになるだろう。生きている限り自己披瀝したいというのは、人間の根本的な欲望であろう。




6項目に対して、小欄を書く意義に照応させ、
思いつくままに今日も「書いた」。
自分自身を「書くこと」は、
僕にとってはもはや、
「洗顔・歯磨き」に匹敵する日常習慣だ。

ぜひともこれを、研究論文や著書にもいえることにしたい。
また「書くこと」の欲求が高まった。
「生きる」ことは、「書くこと」である。
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