学徒出陣慰霊碑撤去に思う
2013-10-23
10月21日。母校の創立記念日でもあった。
そしてもう一つ記憶に刻むべきことがあった。
学徒出陣壮行会が行われた日である。
昭和18年10月21日雨の国立競技場にて。
昨日の小欄には、「21日」という日付への僕のこだわりを記した。だが視野を広げてみれば、記憶に刻んでおくべき日付であると聊か後ろめたく思った。それはある記事を読んだからである。昭和18年10月21日に東京国立競技場で行われた、学徒出陣壮行会から70年目の節目の日であった。
現在、国立競技場にはその時に出陣した学徒の慰霊碑があるという。恥ずかしながら、何度も国立競技場に足を運びながら、その慰霊碑に祈りを捧げたことはない。今から20年前、出陣から50年という節目の年に元学徒らが呼びかけて建立したのだと記事は伝えている。だが7年後の東京五輪開催に伴う国立競技場改修計画により、その慰霊碑が撤去されるというのが、その記事の主旨である。
1964年の東京五輪、更にそこから21年前の学徒出陣壮行会。国立競技場は幾多の歴史が刻まれた場所だ。決定した2020東京五輪をとやかく言うつもりは毛頭ないが、歴史そのものが”撤去”されないようにすべきであると強く思う。学業への志半ばで戦場に赴いた学徒は、5万人とも10万人とも云われる。正確な資料がなくその実態が不明であるらしい。それでもなお、各大学に残る学籍資料を調査し、実際の出陣学徒一人一人の名を確認し復元する動きもあると聞く。
90年目の10月21日。90歳になる元学徒や遺族約100人が、現地で追悼会に出席したという。その90歳になった方々の年齢そのものが、あの戦争からの距離を感じさせる。そしてまた、精算されず積み残したものが多い”戦後”が未だに継続しているのだという認識を新たにする。新しい未来への糧として設定された2020東京五輪の陰で、あくまで慰霊碑の撤去は、一時的であり物理的なものであると僕ら一人一人が忘れるべきではない。文化祭に向けて中高生が勉強を疎かにするような感覚で、20年東京五輪を盛り上がりムードだけで捉えることへの抵抗を感じる。
平和な今を享受しながら、
僕らが向かうべき成熟した社会とは?
お祭りに興じている間に、忘却を促す動きがあるとすれば、
それは甚だ危ういことだ。
学徒出陣慰霊碑撤去に思う。
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