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表現学習に対する抵抗感の矛盾

2013-10-17
制限への嫌悪。
「しばり」などという語彙を用いて。
だが、自由でいいとなると、
どのようにすればいいのかと「型」を求める。
表現学習に対する抵抗感の矛盾。

授業において「作文学習の経験で、うまくいかなかったことや嫌いだった点」という内容の班別議論を実施。そこから中心的要因を3点抽出して提案するということをした。多くの班から挙げられたのが、「字数・枚数などの制限があるのが嫌だった。」ということであった。その反面、「書き方(具体的な)がわからなかった。」ということも多数挙げられた。「枠組」の制限と「方法」の不明確さという違いはあるが、やや矛盾した原因であると感じざるを得ない。「自由」でよいと解放すれば、何もできない「支持待ち」な傾向に直面するという矛盾である。

「制限」にも様々な種類がある。「枠組」のみならず、「内容」においても「学校作文」である以上、暗黙の「制限」が布かれる。「規範的・道徳的」な内容を書かざるを得ないという”ルール”である。子どもたちは自己の素朴な心情を吐露することはできず、むしろそれに反して「評価」が高いであろうという”線”を内容として求められる。「字数・枚数」は「制限」の典型でもあり、可視化しやすいものであるが、実はそれを挙げつつ、「内容」への同調的圧力に対する抵抗が強いのではないかと思う。

日本では武道にその傾向が強いように、「型」を重視する文化がある。野球でもまずは綺麗なフォームを身に付けることが求められる。整った「型」があってこそ、最高な力が発揮されるという文化的美学が作用しているのであろう。MLBを観ていても、日本人選手は投球でも打撃でも実にフォームが綺麗である。闇雲に投げたり、バットを思いっきり振り回したりすることは嫌われる傾向にある。イチローがその独特な「振り子打法」のフォームを、プロ球団の指導者(解説者なども含めて)から批判されたのは有名な話だ。

更に昨今は、「マニュアル」への依存度が高い人々が多い。学校はもとより、職場においても。自ら考えて行動するとか、周囲を見て判断するとかいったことができないと思われる実情をよく眼にする。行動の尺度が欲しいということであろう。となると、同調圧力に抵抗感を持ちながらも、突出した存在になることを避けて、「型通り」の行動を要求するという矛盾を孕んだ曖昧な着地点で、右往左往している輩が多いということになるのであろうか。

根本的なところで、個性の表出が否定的に捉えられる傾向が、
表現の発達を疎外しているように思えてならない。
思った通りに「ことば」や「声」を上げられる環境へ。
僕たちが改善していかねばならないことは、
社会の基本構造なのかもしれない。
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