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外側を聞く耳・内側を聞く耳

2013-09-20
外側の音が耳を通じて聞こえて来る。
ところが重要な思考をする時に、
自らの心の声が聞こえることはないだろうか。
自分自身を理解させ説得し悟らせる心の声。
心に形があるとしたら、この声のことを言うのかもしれない。

教育実習を参観していて、様々な「音読」に出会う。指導者が音読し学習者が聞く。学習者が立ち上がり個別なペースで音読し、指定の箇所まで読み終えたら座る。班別に集団で一定の箇所を音読する等々。他にも多様な「音読」が考えられるが、”方法”を考案し実施されても、なかなかその”目的・意図”が浸透して行われていることは少ない。

だが、〈教室〉で「音読」が行われる多くの場合は、「理解」を求めている。にもかかわらず、なかなかその”意図”が学習者に伝わっていない。ゆえに、立ち上がり指定された箇所を、ただただ声に出して読み終えることだけを目標に、空疎な声が〈教室〉に投げ出される。その後、内容に関する発問をしても、学習者はあらためて文章を心の中で読み返し、発問への対応を探している。

他者の声が聞こえるということは、外側を聞く耳がONになっているということだ。多勢が一斉に読み上げるような環境で、他者の声が気になるのは、まだ内側を聞く耳がOFFなのである。よく読書をしている人とか携帯を見ている人に、話し掛けても反応しない場合がある。彼らは内側を聞く耳を起動させ、外側を聞く耳を遮断し、自らの思考か妄想に耽っているからである。

〈教室〉で行う学習活動の中でも、この双方の耳を意識的に使い分けるように促す必要性を感じる。文章内容を理解する為に行う「音読」であれば、自らが内側から発する声に耳を傾け、読み取るという知的活動へと誘う。他者の多様な意見を聞いて、自らの思考を客観化する場合には、外側を聞く耳を全開にして吸収し分析する知的活動を促す。往々にして〈教室〉においては、この使い分けに対して無配慮な場合が多い。

自分自身の正直な心の声に向き合うこと。
意外とこれを日常で疎かにしている人々も多い。
心の中にあるいくつかの声に自覚的になり、そこから逃げない勇気が必要だ。
「国語」授業の中での、声の聞き方。
それは生きるために、
心への向き合い方を模擬体験していく場でもあるはずだ。
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