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俵万智さん講演会「生きている言葉」

2013-09-16
短歌の魅力・言葉の力。
10年ぶりぐらいで俵万智さんの講演を聴いた。
大学学部同専修の先輩に当たる。
繊細に「生きている言葉」について語る。
そしてまた豊かな子育て論が面白い。


3.11震災の折は東京で仕事ししていた俵さん。仙台在住でお子さんはそこに。数日して交通状況が回復すると仙台へ。その後、思いに任せて西に行き、最終的には那覇に至ったと云う。その際に、心労極まりないお子さんが、書店の絵本コーナーに駆け込んだ。えほんの中を冒険するかのように。するとなぜかお子さんの”自分”が蘇ったというのだ。そう!絵本を読んでいる時間はどこにいても一緒、シェルターのような繭のような時間。こんな体験を当時の新潮社の連載に「知らない街で書籍浴」と題して書いたと云う。

講演会場である「木城えほんの郷」は、まさにその「書籍浴」に適した環境である。俵さんのお子さんも、この郷に着いた時は先述の沖縄の書店以来の様子で、大量の絵本を全身で浴びたらしい。子どもは語感で体験してこそ、活き活きと学ぶというのである。

子どもが日本語を覚える過程は実に面白く、ことばと実体が結びつく瞬間は、ヘレンケラーが「ウォーター」を発見する瞬間と同じだという。「育児は贅沢」であると繰り返す俵さん。演じてる子どもと観客は私一人。「血が出た」「 蚊がいる」といった大人が使うことばを覚え込み、「血」を「ちが」、「蚊」を「かが(かに)」などと助詞を付けて覚えてしまうような倒錯があるのも面白いと。「子どもは詩人」であり、手持ちのことばが少ないゆえに、時折予想もしない秀句を発する。

俵さんの豊かな読み聞かせ経験談も参考になった。「子供の中では(絵本の)絵は動く」のだ、つまり子どもは絵を読んでいるというのだ。例えば「龍の目の涙」という絵本では、龍に話し掛ける子どもが活き活きしていたという。書いていないことを絵本を通して子どもと会話ができる。母親である自分の質問には答えないが、絵本の中の龍には答える子どもと、その日の出来事などにおいて交流が活性化する。

俵さん御自身も幼少の時、ある絵本を暗誦できたのだと云う。子どもの時分はそれは自分が凄いのだと思い込んでいたが、実は暗誦するまで読む母親の偉大さを、自らが母になって悟った。そして最近、ともに仕事をした児童文学者・松居直氏の本から次のことばを引用した。

「知ることは感じることの半分も重要でないと思う。」

五感で何物かと出逢う重要性。
子どもが育つ過程では何より大切なこと。
この感覚に比して、学校空間では「知識」ばかりを体系化して教え込む。
興味があるないに関わらず、学年配当された漢字のように。
興味を持てば、大人でも覚えていないような漢字まで意味を知る力が子どもにはある。

子育ては期間限定。
文字を獲得すると絵は動かなくなる。
それもまた成長。

生きている言葉。
子どもを育てるとは何か?
俵”先輩”の豊かな感性に触れて、あらためて考えた。
えほんの郷では、頭(こうべ)を垂れた稲が黄金に色付いていた。
この郷の四季とも、更に深く関わろうと思う。
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