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なぜ文章を読む声を聞くと人は眠くなるのだろう?

2013-09-14
中学か高校時代を思い出して欲しい。
「国語」、特に高校なら「現代文」の授業で寝たことはあるだろうか?
昼食後の5時限目などは格好の睡眠時間ではなかっただろうか。
教員としての立場からすると、授業はこうした生徒の睡魔との闘いでもある。
いかにして眠くない授業にするかという格闘である。

「国語」で教材文と出会う導入授業。まずは全文を何らかの形で「音読」するのが定石である。指導者が読む場合もあれば、個別に学習者を指名して読む場合もある。まだ学級全員が立ち上がって一斉に声に出して読むのであれば、眠くなる学習者は少ない。しかし、指導者が眼を光らせながら机間巡視して音読しても、自然と瞼が下がり前後に”船を漕ぎ出す”学習者は多い。人が読む声を聞きながら、書物の文字面を追う行為は、自ずと睡眠への導入にもなる必然性があるように思う。

幼児に「絵本語り」をすると、いつの間にか寝ている場合も多いだろう。何ら意識的ではない発達年齢段階にあって、寝かし付ける一手段が「文章を声に出して読む」ことなのである。特に単調なリズムの連続聴取というのは睡眠を誘発するのだろう。どんなに素晴らしい俳優の朗読でも、文章内容や読み方への興味が薄ければ寝てしまう場合もあるようだ。よく公演に行くと近くの席から「イビキ」が聞こえて来ることがあり、こちらが様々な角度から分析的に聴こうとする神経を疎外されることがある。

また、「人の声」ではないが、高速道路で単調な運転が続くと睡魔に襲われることも多い。自動車のエンジン音や路面からの微かな摩擦音などが、一定のリズムを作り出すので、(舗装や高架の継ぎ目で一定の間隔でタイヤの摩擦音がある。)睡眠へと誘われてしまうのであろう。ただ、人の声であっても「音楽」に乗ったものであれば、ともに歌うなどして睡魔から逃れるという効用もある。

たぶん、睡眠を科学する”生理学”などの分野においては常識なことかもしれない。となると、〈教室〉で教材全文を声に出して読んで聞かせる活動を行い、起きて聞いていることを求めること自体が酷な行為なのかもしれない。教員は眠くなった生徒の肩に触れたり、教科書を手に持って立ち上げる姿勢を求めたりと、何とか聞き続けることを強制しようとする。5時限目の”闘争”は、教員を諦めの境地に迷い込ませることもある。

では、〈教室〉での教材全文「音読」をどうするか?
学習者側が能動的に動ける活動を、随所に挟み込むべきであろう。
一部を全員で声に出して読み、一部はキーワード探しの課題を出して黙読でもよい。
高速道路の直進運転状態にならぬように、変化に富んだ”峠道”を用意すべきではないか。
教育実習参観を通じて、大学院生とともに考えた「教材文導入全文読み」の方法。
もちろん、それ以前に発達段階に応じて、
「全文読み」をするか否かという問題もあるのだが。

「国語」を豊かな実りある科目にする為に、重要な課題である。
僕に課せられた宿題として、今後体系的にまとめていきたいものである。
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