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兵器は捨てて命をつなごう

2013-08-31
シリアでのアサド政権による化学兵器使用は事実か否か。
Web上にはその状況証拠とも思えるものも多数。
これに対して米国が軍事介入を検討。
一方で、英国は下院で介入決議が否決された。
化学兵器の使用はもちろん許される筈もない行為なのであるが・・・。

一部報道に拠れば、少なくとも1429人の市民が化学兵器で殺害され、そのうち426人もが子どもであるという。その悲惨な様子の一部を映像で見たが、何とも心を引き裂かれるごとき惨劇といわざるを得ない。だがそこで自分自身の心に問い掛けてみた。この憤りをどのような方向に向けたらよいのか?と。非人道的行為に対して「懲罰」と「再発防止策」が加えられなければならないのは、国際的世論として常道なのかどうか。今回特に欧州を中心に慎重論が囁かれているのは、何事かを考える時期に来ているのではないかと思わせる。

だが慎重論の陰には、「証拠の有無」を焦点にしている背景もある。確実な「大義」を証明できるか否かということだ。それにしても戦争はいつでも「大義」により正当化され多くの尊い命を奪って来た20世紀の歴史は、どこで反芻され行動として自覚されるのであろうか。誤解を招かない為に繰り返すが、化学兵器使用に憤りを持たないわけではない。だがしかし、兵器を使用し戦争をすることに「人道的なもの」などあるのだろうか?化学兵器使用が「非人道的」とされるならば、他の兵器使用は「人道的」なのか?否、人の命を奪う可能性がある兵器使用そのものが、「人道的」であるはずはない。

『永遠の0』(百田尚樹著・講談社文庫)の中で、回想的主人公の0戦操縦士・宮部が、「0戦などを開発したから悲惨な戦闘が繰り返されるのだ」といった趣旨のことを述べていたという一節がある。彼は「生きて帰る」ことを念頭に0戦を操縦し戦闘していたため、「臆病者」のレッテルを貼られていた存在であった。だが、0戦の操縦技術に関しては右に出るものはいないほどの凄腕。長大な航続距離、極めて機敏な旋回性能と機動力。それに比して被弾防御機能は極端に手薄であったという日本人が開発した名機。これを芸術的工業製品として賞讃することは可能であるが、それならば人間が命をつなぐ為に使用できる工業製品を開発できたらよかったとつくづく思う。20世紀の一時代は、盲目的な「大義」によってすべての優秀な命や技術が、失われたのだ。

僕も幼少の頃に、戦闘機のプラモデル製作に興じたことがある。実に”かっこいい”とその頃は思っていた。だが、それ以上に好きだったプラモデルは、「サンダーバード」であった。英国発の操り人形劇であるこの”物語”では、最新技術を駆使して人命を危機から救出する「国際救助隊」の奮闘ぶりが描かれている。航空指令機・輸送機・ロケット・ 潜水艦 ・宇宙ステーションや地底探査車などが、国際的な救難に全力を尽くす。最新”機器”の使用の理想は、こんな方向に向かうべきではないのであろうか。英国のこれまでの国際舞台での軍事的あり方を考えるに、この「サンダーバード」はある意味で、国内から批判的な意味をもって制作されたのではないかとも思えて来る。そうした意味から、今回の英国下院の決議を、より理性的な判断である、と捉えておきたいとも思う。

兵器を兵器で叩く。
それが戦争である。
僕たちは戦争のない世の中を求めているのではないのか?
折しも日本では、「防衛費概算要求2.9%増額」の報道。
高価な「水陸両用車」や、先頃まで危険が懸念されていた「オスプレイ」の自国導入。
この動きには、「防衛」が「大義」になる恐ろしさが潜んでいる。
お金の使い道は、果たしてここなのであろうか?
福島第一原発の汚染水漏れは、今後国際的海洋汚染への懸念が高まる中で・・・。

人の命を奪う兵器は捨てて、
人の命をつなぐものを考えられないのか。
「日本版サンダーバード創設予算」を要求する政治家はいないものだろうか。
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