物品に宿る力
2013-08-25
物品にはある力が宿っている。久し振りに見てみると、
それまでには考えようもない記憶が蘇ることがある。
特に書籍は尚更のこと。
大規模な整理を敢行している夏に感じたこと。
トイレが詰まってしまったらどうするか?柄のついた巨大な吸盤のような道具で、圧力を掛けるのが一般的であろう。だが、その道具が家になかったらどうするか。そういえば、深夜まで営業しているスーパーに、その道具を買いに行ったことがある。スーパーへの道すがら、そして売場にどのように置いてあったか等々、なぜか克明に記憶が蘇って来る。だいたいにして僕の場合は、こうした大勢には影響のない付随した記憶が鮮明に脳に刻まれていることが多い。
そんな性癖ゆえに物品整理をしていると、予想以上に時間を要してしまうことがある。”発掘”された品々に宿った記憶が、一々浮上して来るからである。ある意味で、これまでの生きて来た道を大切にしているようでもあるが、過去の柵(しがらみ)に囚われてしまい身動きが取れなくなることもある。それでも自分が思い出したくない負の歴史においては、綺麗サッパリ”データ消去”している己に気付くこともある。まったく要領よくできているものだと我ながら感心してしまう。
実家や自宅の整理を通じて、母が関与してくる場合もあった。前述した過去の記憶の鮮明さというのは、母が僕を育てる段階で身に付けさせてくれたことだと改めて思った。僕の現状判断では捨てようと思う物品を、母が傍にいると大抵は「とっておけば」と言う。母自身が育って来た時代の影響も大きいと思うが、家族や周辺との思い出をこの上なく大切にする生活習慣が備わっているということだ。何せ今回も、母は僕が小学校1年生次に描いた、「ぼくのいえ」という題の絵を”発掘”していた。ちょうどその年に新築された家を鮮明に描いていたと、今更ながら感心していた。
されど今回は大幅な整理が敢行できた。
新たなる生活空間に運ばれた物品もそうでないものも。
周辺物品の再編も時には必要な行為である。
「思い出を反芻させる物品は、己を前進させる力がなくてはならない。」
研究室の書棚に並べる新たな書籍を見つめて、こんなことを呟いた。
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