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「蛍」の深淵を覗き見る(1)

2013-08-22
「愛している。とは言いませんでした。我々の世代は愛などという言葉を使うことはありません。それは宮部も同様です。彼は、妻のために死にたくない、と言ったのです」
ぼくは頷いた。
伊藤は続けて言った。
「それは私たちの世代では、愛しているという言葉と同じでしょう」
(百田尚樹『永遠の0』講談社文庫P120・121より)

サザンオールスターズのニューシンングル「ピースとハイライト」に収められた「蛍」という曲がある。それは本年12月公開の映画「永遠の0」のテーマ曲だ。「蛍」の歌詞と雰囲気に魅せられて長編である原作文庫を読み始めた。歌詞に共鳴する原作部分に対して僕なりの覚書を記しておこうと思う。

「愛している」とは何か?簡単にことばで言えるものではない。その具体的事象を、僕たちは物語・小説を読んだり、映画などを観ることで総合的に理解しよう努め、現実の人生で実行しようとする。だがそれは短時間で決して”正解”が得られるほど単純なものではない。一生かかって初めてわかったような気になる、ものといえようか。

中学校や高校で教壇に立っていた際に、教材で「愛」をテーマにしたものを扱うとよく次の例を紹介していた。明治時代の文学者・二葉亭四迷は英語の「I love you」を、「死ねます」と翻訳したと云う。僕の教員生活のある時季までは、特に女子高生を中心にこの話に感激する生徒も多かった。だがしかし、直近の教壇経験でこの話をした時の女子高生の反応はこうである。

「そんな重いの嫌だ!」

「命預けられる相手」ほどの感性は、今の高校生たちには”重い”のである。これは一概に軽薄であるというわけでもなさそうだ。相手のことを思い慕うことに気を遣う果てに、疲れてしまうといった感覚のようである。中高生は、学校空間の中で想像以上に、その同調圧力を持った集団から疎外されないように気を遣っているようだ。それが恋する相手に対しても適用されてしまうかのようであるのだが。

冒頭に引用した「永遠の0」の会話ではどうだろうか。戦時中は「愛」などということばを使うことはないと語られている。より厳密に言えば、「(最愛である筈の)妻に対して「愛」ということばを使うことはない」というほどの意味であろう。「愛してます」が「死ねます」なのは、天皇を頂点とする国に対してであるという誤謬が蔓延していた。そんな時代背景の中で0戦操縦士の主人公は、「妻のために死にたくない」と言う。

そうだ、「愛する」ということは「死ねます」ではいけない。
「命預けた人」のために「死にたくない」〜「生きている」ということだ。
社会が個人の尊厳を踏み躙った異常な歴史の中で、
「死にたくない」と語る『永遠の0』の主人公・宮部。

あまり詳細に書き記すことは避けるが、
この主人公の生き様を語り出す作品には、実に大きな魅力がある。

最近は気付くと「蛍」の曲が、僕の脳裏に流れている。
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