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「無謀」はやがて「果敢」と呼ばれる

2013-08-13
冷静沈着に見えるようだが、
自分でも甚だ「無謀」だと思うことがある。
計算が立つよりも先に行動したいたちだ。
それは、先に歩いていかないと見えない光景があるからだ。
ただし「無謀」は、結果を残せば「果敢」と呼ばれるようになる。

高校2年生の頃から、国立の教員養成系を志望していた。高校3年生の夏休み頃になって一転して早稲田大学“専願”に切り替えた。人生で初めて、「師」と呼ぶべき早大出身の憧れの先生に出逢えたからだ。その早稲田“専願”を、高校の担任は「無謀」だと戒めた。確かに模擬試験の結果は、「D」か「C」判定。いわゆる“滑り止め”を受験しなければ「無謀」だといわれても仕方なかった。不合格なら浪人という“背水の陣”の覚悟で、その「無謀」を貫き通した。12月頃からの猛烈な日本史学習の追い込みで、何とか現役で早稲田への合格切符を手にすることができた。

現職教員向けの大学院入学制度がある。勤務先から「1年間の休職許可」が得られれば、「小論文と面接」という入試で受験できる。(場合によっては学費まで工面してくれる条件も)だが勤務先に相談もしないうちに、「休職は無理」と判断し、一般受験の道を選択した。受験科目は「専門(国語・国文学)・外国語」。1年半ほど中国語を学習し直して挑戦し、何とか入試を突破した。だが、この受験勉強中も、修士入学後も「現職教員」としての仕事は並行して継続していた。時間的な制約がある中で、修士での必修最低28単位を取得するのは、物理的・時間的に大変「無謀」であったと今にして思う。修士論文まではさすがに3年間を要したが、納得のいくものを書くことができた。

その修士在籍中も、「無謀さ」は発揮された。修士論文に雑誌掲載論文を収めようと、学会での発表や投稿へ自ら名乗りを上げた。指導教授やゼミの先輩方からすれば、「無謀」極まりない行為であっただろう。評価はともあれ、発表2本、雑誌掲載論文2本の実績を残すことができた。

そしてまた、中高専任教員の職を辞し、大学非常勤講師になった際も「無謀」以外では形容できない行為であっただろう。何人もの方々から、戒めのアドバイスをいただいたが、意志は変わらなかった。稀に「退路を断つ決意」と讃えてくれる友人がいた。大学専任教員になるには極めて困難なこの時世を背景に、「裸の王様」ならぬ「丸裸の貧民」とでも喩えるべき行為であっただろう。

「無謀」という社会的評価を「果敢」に変えるのは自分自身だ。傍目には綱渡りのようであるかもしれないが、人生でいくつもの「無謀」という語彙を、「果敢」に変換して来た。ふとこんなことが書きたくなったのは、有名な企業を退職しカフェ経営に船出した店主夫妻と会話したからだ。彼らも自分たちの行為を「無謀」と謙遜していた。だが、一度きりの人生を思ったように生きなくてどうするんだろう。「無謀」な冒険に身を乗り出してこそ、美しい光景に出逢うことができるのだ。

ただし、「無謀」を「果敢」に変えるのは容易ではない。
だから決しておススメはしない!
まさに様々な犠牲と傷だらけになる覚悟が必要だ。

その上で僕の経験では、“直感”というか“根拠なき自信”が閃き、
こうして歩んで来たように思う。

最後に一言だけ。
「無謀」であっても、決して遭難してはいけないのである。
人生という旅路では。
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