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闘争的本能の燃焼法

2013-08-04
本能はどこに眠っているか?
食欲に睡眠など表面的なものもあれば、
いつしか伏せられて来た本能もあるのではないか。
狩猟を始めとする生きる為の闘争。
そんな本能がどこかに眠っている筈だと思うこともある。

ジムに新しいプログラムが導入されて1ヵ月。”新しい”とはいっても、僕が東京在住時に取り組んでいた効果的なプログラムのことである。(本日と同系統のことを東京在住時の小欄にも記している。)僕としては東京で入会していたジムチェーンがこの地にはなく、甚だ悩んだ末に現在のジムに通っている。だがこの導入でその選択が大正解だったということになった。中でも格闘技系の動きに基づき、全身を燃焼させるプログラムは、様々な意味で僕に幸運をもたらせている。

心肺機能とともに様々な筋持久力を必要とするこのトレーニング(60分か45分)。いつしか闘争的本能に火がついて無心の境地に入り込むことができる。仕事のこと、日常生活での葛藤等々をすべてどこかへ吹き飛ばし、身体の動きを極点目指して上げて行く。明日がどうなるか、などと余計な心配もすることなく、身体燃焼に専念できる状態である。

トレーニングが終了し、汗にまみれた身体でふと我に返る。明日なき闘争的本能の発露がどこかで必要なのではないかと身体の声と会話する。闘争に勝利しなければ死活問題であった原始の時代。そしてまた他者と様々な点で争う必要のある社会。ヒトは進化して闘争に様々な文明を持ち込んだ為に、本来的な闘争を行えなくなったのではないか。道具はヒトに進化をもたらしたが、同時に本能の発露を奪っている点もあるのかもしれない。

生身で打つパンチとキック。どこか子どもの頃に遊んだヒーロー物の遊びにも通じる。ウルトラマンや仮面ライダーのように闘うことは、ある種の憧れでもあった。ウルトラマンは最後に”伝家の宝刀”・スペシウム光線という”近代的兵器”を放つが、仮面ライダーの場合は、ライダーキックという素朴な蹴り技である。ウルトラマンが怪獣と一対一であるのに対して、仮面ライダーは、戦闘員という小兵を生身(変身しているから何とも言えないが)で、すべて倒した後に怪人と闘い勝利する。実に闘争的本能を満たす作品だったと今にして思う。

擬似的闘争。例えば将棋やチェスなども頭脳上で戦略闘争を行うゲームである。思考の上で闘争的本能を満たすのであろう。また多くのスポーツが、何かを巡って闘争するという要素を持っている。それに取り組み、また観戦して興奮するのは、ヒトとしてのこうした部分に根源があるのだろう。

無心に打つパンチ・キック。
抑制のできない身体からの発汗。
運動として闘争的本能を燃焼させておくことは、
日常で満たせないこととして貴重に思えて来る。
僕たちは、いかに自分の身体をまだ知らないのだと自覚する。
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