内外上下の発想
2013-07-31
「立場を内外に区分し内から見ようとする。立場を上下に区分し下から見ようとする。」
一見、似たようであるがその立場は正反対である。
かつて何らかのコラム欄で読んだ記事を思い出した。
発想における線の引き方を考えてみたくなった。
内側を重視すれば、外側に対して批判的となる。過剰になると”いじめ”のように排外作用が起きる。連帯し守られていれば安心感を覚え、外からの意見を撥ね除けることで、内側の理論は守られて行く。だが全く新陳代謝のない内側は、最終的に破綻への道を歩むであろう。新しい呼吸ができないのは、水槽の金魚の如き限界がある。
下側を重視すれば、上側に対して批判的となる。過剰になると”クレイマー”のように下側にいること利用して立場を反転させる。ただ、「長い物には巻かれろ」といった御都合主義を避けることができ、純粋に下側を意識できれば視野は如何様にも開かれる。ただし下側であるのを理由に、口先だけで行動できなければ、野良犬の遠吠えに過ぎない場合もある。
最近、研究の視点が大変重要だと感じている。一定の立場で様々な論陣を張っては来たが、あらためてその立場を見定める必要があるのではないか。内側に拘泥することなく、上下に過剰なこだわりをもつこともなく、広範で自由で豊かな視点が欲しい。研究そのものは内なる静的な作業であるが、外へ動的に出てこそ見えて来る地平があるものだ。
動静の均衡。
いっそのこと内外上下という線も引かなければいい。
少なくとも研究においては、自由人でありたいなどと考えている。
あなたはどの発想で暮らしてますか?
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