「明日」(谷川俊太郎)に潜むもの
2013-07-29
"いつか"と"また"は、ほぼ実現しないと世間ではよくいう。
現実を意識させながらも、
実は「幻」であることを述べているに過ぎないからだ。
今回の朗読会冒頭に読んだ、谷川俊太郎さんの「明日」から考えること。
「だが明日は明日のままでは
いつまでもひとつの幻」
「明日」ということばは、当然ながら「未来」や「夢」に置き換えられる。また「想像」や「妄想」と置き換えてもいいのかもしれない。"想い"はいかようにも抱けるものだが、果たしてそれをどのように現実としての「今日」にするか。「想念」を「行動」にする瀬戸際にこそ、重要な分水嶺がある。
「明日は今日になってこそ
生きることができる」
「約束」「予言」「願い」「夢」がある。
いずれも「明日」への方向性をもっている。
守られるか・的中するか・叶うのですか・叶いますよ
事前に浮かぶ不安・心配・期待・希望が僕たちの心を揺さぶりながら落ち着かせる。
「約束」は「時と所」が書きとめられる。
「予言」は「雲の渦巻き」画像によって信憑性を増す。(ように見える)
「願い」は「心のときめき」をともなって「支度」に託される。
「夢」は「未知の力」によって「くらやみ」から開放される。
いつしか
旧友は新しい世界に生きて
天気予報は折衷案を「つつましい口調」で述べ(最近はどうだか)
自然は眼に耳に訴えかけ
「まばゆい朝」へと「私たち」は開放される。
僕たちは基本的に睡眠という儀式を境にして、
明日から今日に移動する。
「予・」は、「実・」に変化する。
「明日に向かって」
「明日を信じて」
「明日を想って」
「明日のために」
僕たちは「今日」を生きている。
その「今日」はかつての「明日」なのだ。
僕たちの「生きる」を切り取る詩の力。
何とも偉大ではないか!
(*谷川俊太郎さんの詩「明日」は、詩集等を各自ご覧下さい。)
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