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「朗読実践」と向き合い早10年

2013-07-28
「朗読実践への提案in早稲田2013」が無事に幕を閉じた。
出演した学生たちはもとより、ゲスト講師・スタッフの院生・学生。
また僕と個人的に親しくしてる方々もご来場いただいた。
そしてこの授業担当に導いてくれた教授。
すべての方々に心より感謝の意を申し述べたい。
ありがとうございました。

思い返せば、この発表会を催して6年。それに先立つ「ことばの力GP」に取り組んでいたのが、2007年の夏。その夏は、僕自身がまだ博士後期課程の大学院生(現職教員でもあった)であり、博士論文を仕上げる大詰めであったが、指導教授が急な病で天に召された。その病床で苦闘する恩師を見舞い、その足でGPの講義に向かったこともあった。更にそれ以前の4年間は、「朗読の理論と実践の会」の創成期であり、様々なゲストをお迎えしてシンポジウムや実践報告を通じて議論を重ね、「朗読」と「声」について考えた。その時点から早10年の月日が経過した。

この日の発表会でも、出演した学生たちは班ごとに、深く「声」で表現することを考え抜いた結果を披露してくれた。テキストをただ声に出すのは簡単だ。だが本当に人々に届く「声」になるまでには、どれほどの過程が必要か?それは体験したものでなければわからないほどの奥行きがある。同時にテキスト内部を精密に読み込んで、個人はもとより発表班の中で共有する必要がある。更にいえば、個人個人で多様な解釈があるのを擦り合わせて、一つの朗読作品としてまとまったものとして表現する必要がある。この1ヶ月ぐらいの間に、学生たちはこうしたことばで書き連ねたのでは想像もできないほどの葛藤にまみれた、自他との闘いを繰り返してきたはずだ。

発表会に参加した高校生に対して、会場でインタビューが行われた。何人かの高校生は物怖じもせず見事な意見を述べていた。その中で「普段の国語の授業でも朗読を聞いたりする機会があれば、学習が楽しくなると思う。」といった趣旨のことを複数の学生が述べた。教材選定と提供という教科書の仕事。どのような授業方法でその教材を学習者の中に届けるかという国語教員と国語教育の仕事。そして受け取った内容を自分の価値観や感性に照らし合わせて、自らの生きる糧にする学習者の仕事。そのどれもが「マニュアル的技術」で実行できるような安易なものではない。文学と格闘する「志」あればこその所業ではないか。少なくとも、今回の発表会に参加した学生たちは、その「志」に気づいたはずだ。それを起動させて将来教壇に立った時、必ずや「本気で楽しい国語授業」を創造することができるはずだ。

「朗読」に小手先技術は通用しない。
そこに教養の力を動員し、テキスト内部と深い呼吸を通わせること。
だが、〈教室〉では安易な「音読」ならいくらでもできてしまう。
その差が天と地ほどの違いがあることに指導者は自覚的になるべきであろう。
天を求めるならば、「文学を読む」という基礎・基本が必須なのである。

早10年の月日が経過した。
僕自身の現在の到達点を今一度見定めながら、
新たな場所で、「文学」と「朗読」を考える次なる使命が眼前に控えている。




「この今日のうちにすでに明日はひそんでいる」(谷川俊太郎「明日」の一節より)

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