「枠」を超える活性化した呼吸
2013-07-27
「枠」は取り払うべきだ、といつも思う。
自由にオープンに内に込めず籠らず。
だが時に己がどんな「枠内」にいたのかを、
振り返ることも必要なのかもしれない。
ゼミの最中に「方言」の話になった。ゼミ学生の全員が九州地方出身であるが、その地域が違う。お互いの方言のあり様を批評している。「方言」圏外出身者である僕には、その差異をリスニングすることは、少々難しかった。思ったのは、ある地方の「枠」に入ると、そこを基準に相対的に言語が浮き彫りになうというとだ。各自の発話における言語的特徴が、理解できるようになった。
新しい土地で生活を始めると、そこで培われた感性が宿る。価値観に嗜好など、物事の考え方が微妙に変化しているのであろう。ふと空港から飛び立ち、もと住んでいた「枠」に向かう過程で、強烈な力でそのような「微妙な変化」に気が付いた。しかし、もとの「枠」も以前のままではない。明らかに変化しているように思える母校の光景がそこにあった。
やや小さ目な「枠」から、大き目な「枠」に回帰した時、自分の視野そのものが狭窄的になっている自覚があった。新たな発見に満ちていて、元の場所では味わえないものを沢山享受はしている。だがその志そのものは、小さく纏まろうとしてやいないか。眼前にあるモノが全てだと思ってやしないか。聊かではあるが、地方出身者が都会に憧れる理由がわかるような気がした。
空港から母校に直接向かうと、そこにはこの6年間取り組んで来た感覚が待っていた。明日の朗読会の最終リハーサル。こうした機会を通じて、僕自身は一定の「枠」内にいながらも、階段を一歩一歩登って来た。今年はその集大成。新たな校舎の新たな教室でいつもと変わらぬ熱いリハーサルが展開していた。「己を見定めよ!」その雰囲気はそう僕に語りかけた。
「枠」に籠って生きようとしているわけではない。
だが、何かを成すには一定の身の置き場が必要だ。
そこで活性化した呼吸を決して忘れないこと。
時折「枠」外に出てみて、熱い視線に触れることだ。
世界は喩えようもなく広いのである。
- 関連記事
-
- 心の遠近法 (2013/08/16)
- 「無謀」はやがて「果敢」と呼ばれる (2013/08/13)
- 平和を「祈る」から「創る」へ (2013/08/10)
- そうだ!「今を生きることで 熱いこころ燃える」んだ! (2013/08/09)
- 「勝手」のススメ (2013/08/06)
- 心の改行どき (2013/08/05)
- 内外上下の発想 (2013/07/31)
- 「枠」を超える活性化した呼吸 (2013/07/27)
- まだまだ甘い・・・ (2013/06/27)
- ただ海が見たかった (2013/06/20)
- 都鄙往還 (2013/05/25)
- それでも心は前に進む (2013/05/16)
- 翼の先の人の輪 (2013/04/27)
- 決意と覚悟の開幕 (2013/04/02)
- ひとえに50年 (2013/03/25)
スポンサーサイト
tag :