物語で「男・女」と呼ばれるとき
2013-07-23
同僚の先生の公開授業へ。大学1年生配当の「国文学講義」。
僕自身も研究課題として興味ある『伊勢物語』がテキスト。
ふと初心に帰って大学ではどのように講義をするか考えていた。
そしてある考え方が示されると、しばし物語の世界に没入した。
物語中で男女が恋愛関係になると、官職や位を脱ぎ捨てて「男・女」と呼称されるということ。僕も既知であったこの考え方に、改めて物語のロマンを感じた。そして『伊勢物語』に登場するこの「昔男」(狩の使)と「女」(斎宮)との、禁断の恋が描かれた六十九段に吸い込まれてしまった。
身分違いの許されぬ恋。古代にはこんなことも多々あったのであろう。現在は至って自由な世の中であると改めて思う。恋とは、意図して始まるものではなく、突然予想もしない状況で始まるものだ。それゆえにロマンに富み、人はなぜかその渦の中に没入するのであろう。むしろ禁忌があればこそ、「物語」として面白いということにもなる。
どんな社会的な体面があっても、最後は「男・女」の仲。自由な世の中ではありながら、様々な状況を考え過ぎて、われわれも実は自由でないのかもしれない。それゆえにこうした古典の物語を読む必要もある。大学1年生に、この物語がどのように映ったか、興味深いところであるが、文学の力から自らの立ち位置を確認するような、豊かな心の動きを持って欲しい。
「男・女の仲をもやわらげ」
というのは『古今集仮名序』に紀貫之が記した和歌の効用のひとつ。
三十一文字に託して、「男・女」はお互いの恋情を伝え合った。
あっ〜!やはり物語や詩歌はいいものだ!
あらためてロマンを持ち続ける研究者になろうと思う一コマであった。
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