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携帯では察し合えず

2013-07-18
宅配が指定時間より早く届くという、
伺いの電話が携帯に。
「わかりました、30分後に自宅に戻ります。」
と答えて帰宅するが・・・
そして再び電話が。

「もう帰っていますが」と答えると、「◯△号室ですよね?」と不審そうな配達員の声。
その「◯△」の声に唖然とした。東京の実家の部屋番号だ。荷物の送り主を聞き返して更に納得。まったく配達員との齟齬の中でお互いが行動していたことになる。

どこでも通話できる携帯は便利であるが、居場所の特定には不都合な道具であることがわかった。場合によると海外にいても通話ができる。その場合は料金が高いのだが(発信側はもちろん着信側にも料金が追徴される)、それを知らずに目的のない会話や、業者の勧誘電話を着信したりすると、むしろ不快感を覚えることもある。

今回の場合、僕の両親がすぐに帰宅し指定時間前に荷物を受け取ることができた。だが、配達員は「不機嫌そうだった」と母から聞いた。要は、電話は暗黙の察し合いで成り立っていることを相互に自覚していなかったのだ。僕自身も日常からコミュニケーションには気を遣っているせいか、不快感が残った。

配達員は電話の向こうの本人確認や、荷受け主のことは告げない。だが、もしこれが欧米ならどうだろうか?電話の向こうの「あなた」の確認をし、確証が得られたなら話を進めるような気がする。もっとも米国の友人の話だと、宅配便がこれほどに精密で丁寧なサービスを行っているのは日本ぐらいらしい。玄関のドアノブに荷物が吊り下げられたり、ひとたび不在となると、かなり遠い営業所まで取りに行かねばならないと聞いた。

「察し合う文化」がある日本。ことばにしなくとも相手のことを分かるのが前提となる、いや「なっていた」のだ。もはや相手のことは「わからない」社会なのである。そこに「察し合う」という旧態文化を持ち込むところに大きな齟齬が生じる。更には携帯やWeb上の情報の透過性と氾濫。その”文化”が色褪せず保持されているという”幻想”を利用した老人に対する詐欺行為等も横行する。

「察し合う文化」は決して悪いものではなかった。
だが、時代も世相も身近な道具も急激な変化を遂げている。
いま、僕たち日本人が考えなければならないことが、
すぐそばにあるような気がする。
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