身体に眠る味
2013-07-11
これはいつか食べた味だ!という懐かしさが蘇る瞬間はないだろうか。
ことばではなく脳に記憶されているもの。
味覚・触覚・聴覚・嗅覚の記憶。
われわれは文字により構成されることばに、依存し過ぎなのではないか。
知識を”覚える”ことが学習だという勘違いはしやすい。中高生は試験前になると「あっ〜覚えられない。」と嘆いていることが多い。”覚えられない”ではなく、これは”発想(思考)できない”が適切である筈だ。だが、それは中高の試験が、知識を覚えていればできるという体裁が多い証拠だろう。現に歴史の教員などは、「範囲が終わらない」と嘆いているのをよく見かけた。歴史観が”発想”できる授業内容であれば、「終わらない」ということはないはずだ。知識は必要になった時に検索すればいい。
復活するサザンオールスターズ、新曲の歌詞の一節に「教科書は現代史をやる前に時間切れ」とある。まさに何より肝心な時代の歴史を学ばないことが、不毛な感覚を拡大したりする。上代・中古・中世・近世の知識を蓄えることよりも、やはり生きている今に連なる現代史を学び、発想を柔軟にする思考法に触れておく必要があるだろう。短期記憶ではなくして、長期記憶として一生の指標になる思考法を、である。
やや趣旨にそれた内容を書き連ねてしまった。実は昨日、ある店のハンバーグを食べたときのこと、幼少期の記憶が鮮明に蘇って来たのだ。父の親友が大規模な会社の社屋を建築した際に、いつも僕も同行してその建築の成り行きを見守った。その社屋の建築現場の前に、素敵なレストランがあった。そこのハンバーグのデミグラスの味なのである。そのレストランは、当時としては洒落ていて敷地内でプールを所有し夏は営業していた。プールで遊びハンバーグを食べるという子どもとしての楽しみ。夏の暑さも相俟って、味覚からそんな記憶が脳裏に再生された。
これはまさしく”知識”ではない。
身体に眠る味なのだ。
味を契機に蘇る様々な映像。
父が中学校時代からの親友を大切にしているという価値もあらためて噛み締めた。
発想や体験があると、知識は自ずと含有される。
ゆえに「発想」や「体験」の提供の方法を、
教育現場では十分に吟味する必要があるだろう。
そしてまた視覚以外の五感も更に重視すべきであるのだが。
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