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挨拶はなぜ重要なのか

2013-07-05
オムニバス担当授業の2回目。
テーマは「他者とのコミュニケーション〜対話とことばの力」である。
詩のことばにはなぜ力があるのか?
挨拶はなぜ重要なのか?
開いた心で他者に共感すれば自己が救われる。
こんなテーマで90分を展開した。

挨拶は「心の開閉度を測る指標」であり、「コミュニケーションの始発点」である。たぶんわかり切っていることではあるが、なかなかそのようには理解できていない場合も多い。「学校」では挨拶は重要だと教え込むのだが、なかなか「なぜ重要か」は教えてくれない。何事にも”意味付け”が求められる世の中であるゆえ、こんな点を教員の卵たる学生たちが自覚することも必要だ。

さらに「挨拶+α」が次なるコミュニケーションへと発展する入口となる。日本には「時候のあいさつ」という文化があり、「暑いですね」と云うことで他者に対してある種の「共感」を求め小さな会話を持てる可能性が広がる。「閉じた心」の状態であると、「暑いですね」から「当たり前だ夏だから」という幻滅な反応しか生まれない。すると自分自身がたいそう苦痛を感じざるを得ない。コミュニケーションを台無しにすれば、己が自滅する契機となる。

幸い僕の現勤務校の学生たちは、よく挨拶ができる方だ。以前にも小欄に書いたが、廊下で見知らぬ学生に会っても挨拶が返って来ることが多い。しかし、今まで僕が経験した教育現場でも、挨拶が疎かにされている処がなかったわけではない。様々な組織上の利害が関係したのであろうが、たいそう「閉じた心」で日常生活を送っている人々が多かったものだと今にして思う。また都会という鬱蒼とした環境が、そのような閉塞的な人間性を醸成してしまったのかもしれない。

だが、東京生まれ東京育ちの僕自身が、「挨拶」を始めとしてコミュニケーションを大切にする姿勢の素地を造ってくれたのは、幼稚園の教育であった。園長の「人の話を聞く時は〜相手の眼を見てしっかり聞きます。」ということばは、今でも胸の底に響く。草花や動物たち(小鳥・鶏・兎はもちろん山羊までいた)が園にたくさん存在し、自然と命の大切さを体感した。挨拶と四季の逡巡に敏感になったのも、まさにこうした教育環境があったからだと思える。

やや、話は横道にそれた。
授業後の学生たちのコメントを読んで思う。
「教養としてのコミュニケーション」をどこかで学ぶ必要があるようだ。
日常を分析的に捉え、人間性ある判断力の礎とする。
教員の卵たちであるからこそ、
「開いた心」で生活できる健全さが求められるであろうから。
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