俳句創作学習活動
2013-07-04
「有季定型」「歳時記」「句切れ」これを語彙として覚えること。
または、どのように活用したらよいかを理解すること。
この二つには大きな違いがある。
「知識」→「(内容)理解」→「(実践)活用」
という段階が存することを心得ておくべきであろう。
俳句を創作する研究授業実践を参観した。中学生が学んだ知識を駆使してどんな俳句を創作するか興味深かった。新指導要領「国語」では、「詩歌や物語の創作」が「書くこと」の力をつける活動として掲げられている。自ら表現することは、教科書に存在する秀句を「読む」ためにも有効となる。単なる「解釈・鑑賞」ではなく、自ら句作の過程を経験することで見えてくるものは多い。
「季語を含む五・七・五で表現する。」
「季語が分からなければ歳時記を引く」
「句中に言葉の韻律を微妙に断章する箇所がある(ことが多い)」
といった内容は理解していても、
なかなか句作で「発想」から「語の組み立て」というプロセスは難しい。
そこで求められるのはやはり「秀句の解釈」へと回帰することであろう。
「表現」することは「理解」に支えられており、
「理解」は「表現」することで内容確認されていくものである。
昨今の古典学習において、「解釈・鑑賞」といった範疇は古臭く埃を被った類のものと見なされる傾向が否めない。だがしかし、なぜ「解釈」し「鑑賞」するのか。秀句に使用されている語彙に対して丁寧に「訓詁注釈」をつけることで、どんな状況でその語彙が選択されたのかが次第に明らかになる。その延長上で、絶妙なことばの共鳴に気づいたとき秀句が秀句たる所以が腑に落ちる。言語で組み上げられた芸術の機微に気づく為にも、知識に留まらない「読むことの深まり」が求められる。
勘違いしてはいけないのは、
「基礎知識」が不要な訳ではないということ。
そこには深い「教養知」が必要であることを確認しておきたい。
言語創作活動の学習は、深い「解釈・鑑賞」に支えられているはずだ。
もちろん指導者たる教員が、教材たる句に対して腑に落ちているのが前提である。
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