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雑談を楽しもう

2013-06-23
用がないのに訪ねる。
「ちょっと顔を出しただけ」
といって立ち寄れる場所があるのはいい。
久しぶりのゆっくりした休日。
そんな場所を訪ねてみた。

雑談は楽しい。別に何を話そうと決めているわけでもなく、顔を合わせるなり「暑くなりましたね」と言えばいい。その心がわかる方も、昔に比べれば随分少なくなったようだ。飲食店に限らず商売をしている店舗において、昔は大量の”雑談好き”がいたものだ。幼少の頃に、母親と商店街に買物に行くと、八百屋でも魚屋でも豆腐屋でも乾物屋でも、必ず母親は雑談をしていた。子どもながら僕は痺れを切らして、「早く帰ろう」と母に”忠告”したことも多かったと記憶する。だがその時間が母親にとって、大きなストレス解消の場であったのではないかと、今にして思える。

いつ頃からだろう?〈教室〉からも雑談は姿を消し始めた。僕の中高生時代の経験からすると、いかに雑談に持ち込むかというのは生徒にとって重要なテーマであった。大抵、雑談誘導係が学級内に存在していて、各先生から雑談を引き出した。大学講義もまた然り、研究者として見識の高い先生ほど、雑談が面白かった。そのために、雑談までノートに書いたことがあった。同世代のライバル教授の悪口(実はお互いに仲がよく、意図的に相手の悪口を言う)では、それが専攻する文学ジャンルの特徴に相似したものであって、聞き手としてなかなか楽しめた。雑談も高尚になれば、何らかの意味を発見できる。要は聞き手の問題でもある。

僕の教員生活の中でも、初任校に赴任した若かりし頃は雑談を量産していた。それが許される雰囲気があったのと同時に、強豪運動部の存在していたその学校の生徒たちに対して学習への興味を引く為には、雑談以外の手段が見出せなかったともいえる。古典の時間には時代劇の言葉遣いの話。日本文化的な「めでたしめでたし」話型は、ヒーロー物に活かされている。そして運動競技の機微を文学構造で捉え直すとどのようになるか等々。随分と雑談ネタを展開したものだ。その話題提供と笑いの〈教室〉にこそ、双方向性のあるコミュニケーションがあった。お陰で、だいぶ教員としての話術を鍛えてもらったと、当時の生徒たちには感謝している。


「必要か必要でないか」などと分別する社会は無味乾燥。
「役に立つか役に立たないか」も同様だ。
思いもよらぬ発見があるから、生きていて面白い。
〈教室〉にも、社会にも、「余白」があってこそ、
健全に人々のコミュニケーションの糸が双方向で通じ合うはずだ。
せめて、雑談を楽しもう!
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