ただ海が見たかった
2013-06-20
海を見るのが好きだ。それでも東京に居る時は、せめて湘南あたりまで行かねばならず、
過去にはお台場あたりで我慢したこともあった。
砂浜・打ち寄せる波・そして水平線。
理想的な海にはなかなか東京では出会えず、非日常の中にしかなかった。
予想よりも早く仕事が引けたので、思い立って約7Km弱のスローランニング。ほぼ早歩きぐらいの状態だが、耳に英語を流しながら約1時間で走破。コースの後半では、海に川が流れ込む辺りから美しい海岸線に出会える。砂に足跡を残しながら、波打ち際まで歩を進め、遠く水平線に思いを馳せる。自然と心が洗われる時間となり、自分の中の狭窄した思考が瓦解して行く。
何事も思いを重ねれば重ねるほど、穴の中に入り込むように思考が矮小化する。広い視点で考えているつもりでも、煮詰めた物体が縮こまってしまうかのようになり、やがて凝固し始める。こうした時点で、清水を掛けるようにその思考を解き放たないといけない。何事も、剛強に見えるものは折れ易く、柔弱であるものこそ倒壊しづらい。その微妙な境目で柔弱を確保することを心得るべきであろう。
その海岸線は、僕がこの地に来た最初の朝に出会った光景だ。土地との縁とは何か?原点を思い出させてくれる場所である。暫く海面に向かって語りかける。「世界は広いぞ」という声が海面から聞こえて来る。空にはクジラのような雲が流れて行く。黄昏どきは切ないものではあるが、また明日への希望を養う時間でもある。広い天空の下で、小さな自分という存在を確かめる。
その海岸線近くには、和やかに話せる人がいる。僕が偶然にも、この地で出会った家族。話を重ねていると、更に心が開放されて行く。まったく違った分野であるが、人生を歩んで来た重さが一言一言に感じられる。まったく利害関係でない素朴な人と人との関係性。少々絡み合ってしまっていた自分の心の中にある糸が、整然と峙立してくるようでもある。
ただ海が見たかった。
それだけでいい。
そんな恵まれた環境に身を置いていることを、
いつしか忘れている。
人間とは贅沢で傲慢な動物なのである。
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