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パス精度は究極のコミュニケーション

2013-06-14
サッカーの醍醐味を創り出すものは何か?
1試合の中で限られた得点場面。
ゴールに球を押し込む得点者が至って目立つ。
だが、そのタイミングと場面を演出するアシスト、
そのパス精度の絶妙さこそ肝心要なのだと改めて思う。

僕の勤務地で、Jリーグ鹿島アントラーズが短期キャンプを行っている。代表戦のためリーグが一時中断しているからだ。鹿島には、高校時代に学年担当で国語を教えていた中田浩二くんがいる。今回は、ちょっとしたことで彼に連絡をしたところ、ちょうどキャンプでという返信をもらった。そこで仕事の合間を縫って、練習が行われている競技場に足を運んだ。

中田浩二くんは、高校時代からいわゆる”ボランチ”の位置で、パス供給者としての役割においては実に巧妙な選手であった。かと思うと、果敢にゴール前で得点する攻撃的な面があり、もちろん守備面で相手方のチャンスを潰すという万能な役割をこなしていた。彼が高校時代にプレーしているのを見て、サッカー素人の僕は、その戦術や構成に対してだいぶ明るくなったという記憶がある。

その中田浩二くんが、小学校「道徳」の教科書に話題として掲載されている。それを知ったのも教育実習生の研究授業参観に赴いた時のことだ。当該授業では違う話題が扱われていたが、提供された教科書をパラパラとやっていると、中田くんの写真が眼に止まった。そこには日本代表として彼が大成するまでの紆余曲折が書かれていた。U-20でアフリカ遠征に行った時の苦労話。本来のボランチという位置からバックへのコンバート。どの位置でも試合に出たいという気持ちが、2002W杯においての彼の活躍に繋がった。当時のトルシエ監督の戦術を一番理解して実行できる選手として高く評価された。僕自身も、彼が左サイドバックから、精度の高いパスを出して得点に繋がった対ロシア戦の記憶は今でも鮮明である。

現在彼は、プロ選手として16年目のシーズン。既にベテランの域である。練習を見ているとやはり彼のパス精度の高さが目を惹く。その精度とは位置という空間把握のみならず、ゴール前に上がる選手に対して格好のタイミングでボールを出すということ。味方選手との”息”を絶妙に把握しているということ。いわばコミュニケーションの観点で述べると、相互理解・承服・実行が一瞬のうちにかなりの高い精度で行われるということ。アイコンタクトという単純なレベルではなく、サッカーで生きている本能的な嗅覚で、そのタイミングを嗅ぎ取るようなものを感じる。まさに究極のコミュニケーションなのであると僕なりの理解をすることができた。

練習後に少々の時間であるが彼と歓談できた。「相変わらずパス精度は高いね!いや熟達した感じがする。」と僕がいうと、「いやもう動けない分、精度を高めないとと思いましてね。」と謙虚な応え。高校時代からそうだが、彼の選手としての実力は、この謙虚さが支えて来たのだと改めて感じる。技術はもちろんルックスも上々の彼であるが、プロ選手となっても謙虚で前向きな姿勢を崩さない真摯な態度に改めて感じ入るものがあった。それは、高校生の時に「国語」という教科担当者であったというだけの過去を、忘れずに大切にしてくれることからも窺える。この日も、一旦はバスに乗り込んでしまってから僕の姿を見て急いで降りて来てくれたことからも明らかだった。

パス精度の高さは謙虚さに支えられているのかもしれない。
僕たち教育者が、学ぶ者に精度の高いパスが出せるか。
そんな二重写しを頭の中で描く。

高校卒業から15年という間、プロ選手として活躍して来た中田くん。
彼の選手生活の年月は、そのまま僕の研究生活でもある。
当時、高校国語教員だった僕はこう考えた。

「教え子がプロ選手になれば即座に実績を問われる。日々の試合が彼らにとって勝負なのである。ならば国語教員として僕自身の日々の授業はどうなのだろうか?扱う教材である文学が精度高く読めているのだろうか?国語教員として実績が問われなくていいのか?教える者が甘えていていいのか?」

こんな疑問が僕に、今一度研究に真摯に向き合ってみようという心を起動させた。
「道徳」の教科書で、そして現実に中田くんと再会できて、
15年という歳月を感じるとともに、今こうしてある僕の分水嶺が再認識できた。
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