雨など降れば最高
2013-06-11
都会で暮らしていた頃、雨が嫌だった。とりわけ最近は「ゲリラ豪雨」などといって、
人間が”攻撃”されているかのような印象があった。
いつから”雨”を敵に回したのだろうか?
雨と共生していたのが日本文化ではなかったのか。
関東地方は空梅雨の様相。僕の住む地方だけはなぜか梅雨らしい天候となっている。東京に住む親しい友人にメッセージをした時、「頑張って梅雨を乗り切りましょう。」といった趣旨のことを書いたが、どうやら「時候の挨拶」として適さなかったようだ。このように縦に長い日本列島では、梅雨の状況にも大きな違いがある。
地方暮らしを始めてから、雨に対する嫌悪感がなくなった。周囲の田畑に育つ作物に適切な水分を補給してくれて、遠くの山並みにある木立は潤いを得てその蒼さを増す。やや激しく降り過ぎかと思うこともあるが、自然の摂理による循環が眼に見えるので納得できるということだろう。東側を見れば雨雲にエネルギーを供給する広大な大海原が見える。
確か小学校の時の自由研究で「水の循環」について発表したことがある。調べた書物の中で、飲み水は井戸から供給されその水は雨水が地下に浸透することで得られる。雨雲は海水が蒸発して大空に上昇することで育つ。ゆえに自分たちが使用する水も汚染することなく、川から海へ帰すべきだという主旨のことを述べた。「環境破壊」に敏感な時代であったゆえ、調べた文献の影響も受けたのだろう。だがしかし、都会生活ではこの小学生の自由研究が、生活実感になることはなかった。
小学生の自由研究は、大人になって暫くして都会から地方暮らしを開始して初めて、実感となって記憶の襞から紐解かれた。教育とはこういうものかもしれない。いくつもの多様な種を蒔いておく。その種は人生でいつ発芽するかはわからない。少なくとも即効性があり効率がよいものとは限らないということだ。その為にも、記憶の中で埋もれてしまわないように保存される種を蒔く工夫をしたい。
「雨など降れば最高」
これもある好きだった曲の1フレーズ。
大学時代にこの歌詞の実感を検証する為、
やはりこの曲がいいねと言った友人を誘い、
早朝から雨の高速道路に車を飛ばしたことがある。
かの友人はいまはどうしているのだろうか?
記憶の反芻は素敵だ。
それだけに新たな記憶を日々大切に刻みたいとも思う。
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