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プレゼンテーション考ー滑舌と妙味

2013-06-10
研究学会でいつも気になってしまうこと。
発表内容はもちろんであるが、
発表者のプレゼンテーションのあり方。
聴衆に対して内容を「届ける」意志があるかということ。
残念ながら原稿の「音読」の域を脱しないことも多い。

米国の大学で言語系研究をしている友人の日本人研究者と、プレゼンテーションのあり方について語ることがよくある。アイコンタクト・訴える力・説得力等々、米国の学会ではこんな点も重要であるという。かつて友人が日本で学会に出席した際には、たいそう幻滅していた。原稿の棒読み、聴衆を無視したかのような発表態度。ほぼ録音を流しても変わらないのではないかという印象を持っていたようだ。発表時間内で精緻な発表を達成するには、発表原稿を寸分も違わず読むことが有効なのも理解できる。だがしかし、なぜライブとして発表機会があるのかということを考えると、やはり聴衆に「届ける」という意識が不可欠ではないかと思う。

この日は、研究学会でたいそう滑舌の良い発表を聴いた。発声明瞭、聴き取り易く、聴衆に訴える力がある。内容的にも自分の物語に対する読み方を主張する態度が鮮明で、大変好感が持てた。もちろん、発表のあり方と内容の妥当性とは一線を画して公正に批評すべきである。質問に立った先生も開口一番「元気のいい発表で」と前置きし、その内容的な疑問点を詳細に指摘していた。たぶん米国的プレゼンテーション評価からすると”標準”かと思われるこの発表が、日本では「元気のいい」ものとして受け取られるあたりに、その差異が浮き彫りになったようであった。

また違った観点で研究発表の際に気になることがある。それは発表者が質問に対して答えた後に、「お答えになっていますでしょうか?」と付け加えることだ。自分が信念を持って研究してきた内容を発表し質問を受ける。それに対しての反論。蓄積して来た研究をもとに信念ある答えをすることこそが、誠実な態度ということになるだろう。質問の方向性や内容に問題がある場合はともかく、「お答えになっていない」ような内容(客観的な受け止められ方はどうあれ、当事者の発表者本人が)で返答するのは真摯な態度とは言えないのではないだろうか。これは研究に対する基本姿勢が問われており、学会という場の存在意義に対しても礼を欠く態度とさえ思えてしまうことがある。

昨日の小欄でも触れたが、『源氏物語』訳業に取り組んだかの与謝野晶子は、本文朗読の音声を遺している。少々聴いた印象では、決して「上手く」も「元気のよい」朗読でもない。だが、晶子の読み方には深い”妙味”が感じられた。日本古典文学史上の大作に全身全霊を賭して取り組んだ者だけが醸し出せる、独特な味わいが僕らの耳に「届く」からであろう。本文に対する熱意が「伝える力」となり、聞き手に「届く声」になり得るのである。古典研究への情熱というものは、このような次元で叶えて行かないと、文学系統の退潮傾向は打破できないのではないかと思う次第である。

古典は美しく素晴らしい。
ゆえに個性的であればいい、滑舌と妙味を持った発表が行われ、
その魅力を次世代に「届ける」研究発表・態度が不可欠である。
研究学会で発表する方々の多くが、教育の場で若い世代に対して、
古典の魅力を伝えようとしているのであろうから。
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