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基礎研究こそが

2013-06-09
世に何事も「基礎・基本」が大切という。
誰しもがわかっていること。
だが、果たして本当にわかっているのか?
わかった気になっているだけではないか。
自らの身に「基礎・基本」が備わっているとはどういうことか。

学習院女子大学にて開催されている中古文学会春季大会に参加。初日はまず、神野藤昭夫先生(放送大学客員教授・跡見女子大学名誉教授)の講演「始発期の近代国文学と与謝野晶子の『源氏物語』訳業で幕を開けた。国文学が明治の始発期にどのように扱われていたかを、当時の東京大学における「和漢文学科」のあり方などを中心に資料を示しながら跡づける。その後、与謝野晶子がどのように『源氏物語』と出会い、それを読む力を養って訳業を成し遂げていくかを明快に説く内容であった。国文学も、そしてまた国語教育もしかり、明治の始発期のことを考えなくして現状の問題点も見えてこない。中古文学研究をなぜ行うのか?そしてまた古典教育はどうあるべきか?講演を契機に様々に考える視点が得られた。また、講演の最後に保存されてCDにもなっている与謝野晶子の『源氏物語』朗読音声が流された。訳業に専心した晶子の声には感じ入るものがあった。ぜひ手元に欲しい資料である。

講演後は研究発表2本、更に懇親会。多彩な研究者の先生方と話せる機会というのは、改めて自己の研究への志を点検することでもある。発表者の方との懇談、そしてまた日頃からお世話になっている先生方と近況や研究の方向性について語り合う貴重な時間だ。

更に同窓の先輩が全体に人数を募って声を掛けた二次会へ。この席で大変勉強になったのは、「基礎研究の大切さ」という話である。研究者なら誰しもがそう思ってはいる。だが果たして自分しかできない確固たる「基礎研究分野」があるかということ。表面を擦るような研究ではなく、これだけは誰にも負けない分野を持つということ。それでこそ「プロ」なのであると、ある先生が熱く僕らに語った。

今一度、自己の「基礎」を見つめ直し、その確立に努めよう。
「基礎」が起ち上がってこそ、「基本」も機能し始める。
「基本」とは、多彩な分野への活用と応用力。
「基礎」が心臓部だとすれば、「基本」は血管を流れる血流である。
研究として、そして教育に対してもこの「基礎・基本」は不可欠である。

そして研究学会の場のみならず、
懇親会や二次会の席で語り合うこともまた、
「基礎・基本」なのだとその先生の言葉に共感した。
これでこそ学会に出張した意義があるというもの。
さあ、また明日から自分にしかできない「基礎研究」の始まりである。
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