アバターをどう観るか?
2010-02-01
31日(日)前日の土曜日早朝、米国留学中の妻とskypeで交信。「ぜひともアバターを観るべきである」という話題が出た。年末年始に彼女が帰国した際も、「先入観に囚われず観るべきだ」と勧められていた。実は、昨年来、アバターの広告などを見たときに、何となく「気味が悪い」という感情を持ってしまっていたので、進んで観なくてもよいという気になっていた。これぞ自分自身の「醜い人間のエゴによる差別意識」が顔を覗かせていたのだと、反省しきりの結果になった。
日曜ながら7時には起床。午前中が長く使える!ブログ更新やらiphoneを自宅の無線LANにWiFi接続する手順を確認して、朝刊をひと通り読む。朝日新聞「視点」欄に石原千秋氏の「現職に学び直しの機会を」という投稿意見があり、内容が気になった。これについては改めて。
昼頃からのアバター上映時間を確認すると、丁度、12時開始は上野東急で3D上映ではない。しかし、どうも3Dという類には三半規管が脆弱なせいか、必ず気分が悪くなるので、2Dでちょうどいいと思って家を出た。3Dで観なければ意味がないという面々もいるだろうが、個人の選択の範囲ではないか。それでも、上映中に何回か、画面の動きに反応してよけてしまう時があったぐらいだから。野球をやっていたせいか、飛んでくるものをよける習性が身に付いている。
地球人と、ある惑星に居住する人類のDNAで作られたアバター。そこに科学的な機械でリンクしていくことで、行動が乗り移ることができるというもの。DNA操作の科学が生物をどのように支配していくかという、窮極の姿がSFとして描かれている。それに対して、ある惑星においては自然界の全てのものと「絆」で繋がるのだという発想に溢れている。それによって偉大なる力を共有できるという、自然崇拝的な中で、共存共栄な生活が営まれている。しかし、開発的な利益第一主義である人間は、その惑星の地下鉱脈などを狙い、SFの作中にありながら、未だ大量消費が自滅に至ることに気付いていないという愚かさ。その欲に目がくらんだ軍人たちの姿は、先住民支配を中心に開拓を進め、政治・経済・文化の各方面でグローバル支配に向かった米国の姿の象徴に見える。
ちょうど上映後に、iphoneでサイトを閲覧すると「アバターは反米映画だ」という見出し記事あり。米国の保守派と言われる人々が、そのような意見を強めていると記事は伝える。しかし、その「反」という感情を抱くこと自体が、自滅への道であるということに気付いていない。それに映画の主題にいちいち目くじらを立てること自体が、理性のなさを露呈している。サイトの情報ゆえに、どの程度のどのような反響なのかは定かではないが、こうした人間のエゴが21世紀である今も残存していることに、人類そのものが精神的未開人である危惧すら感じてしまう。
映画のラストで2人が「I see you!」と囁き合う場面には、思わず涙腺が緩む。人間は「愛だ」というお決まりの結末ではあるが、他の惑星という設定があってこそ、気付かされるものがあるという、精神的な3D作用を体感したのは、自分だけであろうか?
その後、髪カットに向かい、また床屋のスタッフ面々とアバターの話題。夜は両親とともに寿司屋で食事。帰宅してNHKスペシャルを見ると、「地縁・血縁・社縁」に見放された人々の孤独死を扱う特集であった。日本社会が「絆」を危機的に失っている現実が描かれていた。酒に酔って、10時からのNHKBSでの「龍馬伝」を見逃し、ソファーでうとうと。深夜にメールの返信をして正式に就寝。
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