焦りもせず苛きもせぬ
2013-05-29
「駆け込み乗車はおやめください」というアナウンスにむしろ促されるように走る人々。
都会には何処でもある光景が奇異に見えた。
電車が数分刻みにプラットホームに滑り込んで来る。
その緻密なダイヤと同じように人の生活も効率を求める。
背中を何物かに押されるように時間に追い立てられる。
1ヵ月に1度の東京行きでふと感じたこと。在住していたときは殆ど気付かなかった感覚。いや、むしろその”効率化症候群”を背負った一人だったかもしれない。仕事に追われ、休日にも余裕がなく、時間が矢の如く走り去るように過ぎて行く。だいぶ前に「サザエさん症候群」というのを指摘する書物があった。日曜日の夕刻に「サザエさん」のテーマ曲を聞くと、休日の終わりが反射のように心身に自覚されて、翌月曜日からの仕事や学校への嫌悪感から、具合が悪くなるというものであっただろうか。これもまた休日を十分に満喫できない精神的な作用による影響が大きいという指摘だろう。
時間に追われていない。キャンパス内では走ることもない。効率化の波が全くないとは言わないが、実にゆっくりゆったりしている。次の行動に余裕がある。焦りもせず苛つきもせぬ日々の時間。ゆえに己の心の内と対話する時間も自ずと多くなる。そこできっちりと都会で流れている時間も相対化して捕捉しておく必要も感じている。精神的な俯瞰をすることで、意欲を意識的に喚起しておくことが不可欠だということだろう。
とはいえ、生まれてこの方までの長い間の都会生活が、身体各所に染み付いていることに気付くことも多い。即時的な展開を求め期待し待ちきれなくなることもしばしば。ゆったりした時間に宥められるかのように、先走る心を自制する局面に出くわすことになる。少なくとも、こうした時間意識の振幅ある彷徨を繰り返す中で、自己の客観視に更なる磨きをかけたいという願望を叶えようとしている。
居住地を移動するというのはこういうことか。
一人でゆったりゆっくり自らの心と向き合う。
身体的に保存されている”意欲”と”情熱”を保ちながら。
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