〈教室〉では疑問の声こそ大きく
2013-05-21
「同じです!」「いいで〜す!」
という同調の声は自然と大きくなる。
だがその陰で「?」の気持ちを表出し難くなる。
本質的な理解を目指すのならば、疑問の声こそ大きくすべきであるのに。
〈教室〉という場には、ある種の「同調圧力」が自然発生的に存在する。そこにいる子どもたちは、暗黙にできあがる方向から外れないように心掛ける。異質な言動をして目立つことで、その集団から疎外されることを防ぐ為だ。ゆえに「同調」する場合には、安心して大きな声を出すことができる。しかし、「違います。」「私はそうは思いません。」という声を大きく出すには、相当な勇気が必要だ。そのような雰囲気、あなたも感じたことがないだろうか。日本の〈教室〉の多くでは、今でも尚、このような「空気」が存在する。
こうした「同調圧力」の延長上に、一時流行した「KY」(空気が読めない)という語も存在するのだろう。「空気を読め」と会社等で他者に対して思うのは、「同じ感覚を持て」と強要していることに他ならない。それは大仰に言うならば、「現状では波風を立てず一番穏当に済ませることができる状況を選択せよ」と、多数派の意見を少数派に押し付けて封殺しようとする行為とも換言できよう。同調するのが「正」しく、疑問を抱くのは「悪」いと決めつけられる。同調内の”横並び感覚圏”に賛成すれば「仲間」であり、疑問を抱けば「異人」と見なされる。
「意見が言えない日本人」
「議論のできない日本人」
といった刻印が世界の舞台で貼られる傾向がある。これはやはり〈教室〉、つまり「教育」環境の影響であろう。社会人でも相手に対して意見を言うと、「人格まで否定した」と勘違いする人も多い。よってなかなか「本当の意見」が言えない。社会的に重要な話題であっても、触れないで済ませている人々も多い。話題に触れずに曖昧な領域で同調し疎外されるのを防ぎ続ける。だがしかし、果たしてそれで健全な社会が構築できるのか甚だ疑問である。
〈教室〉で聞かれる「同じです。」の声。
そればかりが大きくなっていいのだろうか?
「違います。私は・・・・・であると思います。」という一意見が尊重されてこそ、
「思考力・想像力・判断力」が錬磨される筈だ。
そして何より指導者が、「異質」な意見を尊重して拾い上げることが肝要である。
- 関連記事
-
- 台風・秋雨・運動会 (2013/09/05)
- ”ピンポン”と”ブ”ーの間 (2013/09/04)
- 「英語教育、迫り来る破綻」講演会に参加して (2013/07/15)
- 英語と標準語〜画一化幻想が生む劣等感 (2013/06/22)
- 机上ではなく現実の感動を (2013/06/07)
- 自分の立ち位置が交流の始発 (2013/05/24)
- 知識とは何か? (2013/05/23)
- 〈教室〉では疑問の声こそ大きく (2013/05/21)
- 定着ではなく愛好へ (2013/05/11)
- 古典教育における小中高の連繋を考える (2013/05/10)
- 学生はなぜ講義で前に座らないのか? (2013/05/09)
- 学び合う「現場」がある (2013/04/25)
- 大学入学で何が変わるのか? (2013/04/04)
- 「役に立つ」を超えて行け! (2013/03/31)
- 教員であるということ (2013/03/29)
スポンサーサイト
tag :