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庶民的とは何か?

2013-05-20
「庶民的」といえば”好評”と捉えてよいのだろうか?
親しみ易く安価で何より気を遣わない。
高級感漂う中で硬直して物事を楽しむよりもいい。
凝った脚色にむしろ”面倒臭さ”を感じたりすることもないだろうか。
値段の如何等よりも、人の姿が見えて素朴なものがいい。

勤務地を両親が訪れて3泊。宿を”プロ野球”に喩えるならば、「2軍」から始まり「1軍昇格」を果たし「日本代表入り」をした、といえば分かり易いだろうか。次第にグレードアップした宿を予約しておいた。もちろん日増しに高級感は増し、部屋からの眺望や静寂さも格段にアップして来た。だがそれに反比例して、巡業員の方の人間性表出は消去され温泉大浴場は部屋から遠くなった。3泊の中ではむしろ「2軍」にこそ味があるという結論を、両親も強調していた。

勤務地における日曜日の街中も歩いてみた。いわゆる”商店街”に人並みは少なく、巨大な駐車場設備を備えた郊外の”モール街”に人々は集中していた。大企業経営資本の造られた街が、従来の個人商店を凌駕する図式は明らかだ。更に中規模のモール街や国道沿いの大きな店構えの”ドラッグストア”に、殆どのジャンルの製品が揃っており、更に大型ホームセンターまであれば、生活用品で発見できない物は皆無といってもよいだろう。

人から物を買うのではなく、大企業から買うという構造。このある意味で”アメリカ式”ともいえる経済構造が、地方であれば尚更顕著に街の趨勢を左右している。僕らの日常生活の中に存在する、こうした「無意識のアメリカ」にどれだけ自覚的に対応できるかということも重要であろう。巨大で力ある物が勝って評価される構造。それは、日本文化の根底に流れる緻密さとの微妙な乖離を見えないままに進行させているようにも思える。自然がその巨大な力を人間に見せつけることがあるように、”大きな物”に対しては警戒の念を怠るべきではあるまい。

部屋から温泉大浴場まで15分という過程を歩きながら考えた。
もちろん部屋着(浴衣)でそこまで歩くことは許されない。
アメリカ資本の巨大なホテル棟を見上げる。
高級感を享受しつつも「庶民的」な初日の宿に思いを馳せた。

多くの分野で、無自覚なままにこうした”構造上の二項対立”がある。
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