運命の扉を回想しつつ
2013-05-19
「運命の扉を開ける」といった慣用句がある。元来、何物かによって定められた”道”というものがあるのだろうか?
「扉」を開けてみなければ正負どちらの方向に動くかもわからない。
とりわけ自分が生活を営む場所に関しての「扉」を開ける時は大変重要だ。
たぶん、おそらく、「扉」を開けたであろうと思われる日を回想しつつ。
両親が僕の勤務地を訪れた。早々に向かった海鮮料理を売り物にするお店。店主ご夫妻と息子さんが明るく出迎えてくれた。この土地で水揚げされる新鮮な魚。流通が過剰に豊かである東京では、むしろ魚を食べることにやや躊躇を覚えていた。それだけに産地が定まった品々には深い安心感がある。刺身に煮魚、ただそのシンプルな料理を両親も堪能し、「ご飯と味噌汁」という”必然的”な流れになった。料理を囲んだ卓には、途中から店主も訪れ焼酎グラスを僕とともに傾けた。
その店のすぐそばにあるホテル。受付では懇意にするマネージャーさんが笑顔で僕たち3人を歓迎してくれた。アロハシャツに身を包み、部屋まで案内してくれたその姿勢には大変好感が持てる。彼はホテルの仕事に関連して、この土地の地域興隆に関わるような仕事もこなす。(と話す内容から僕が判断している。)活力ある地域を創成し人々を呼び魅力を知ってもらう。その結果ホテルも活性化する訳であるが、今の時代こうした総合的な視野で仕事をしてこそ得られることが多いと推測する。
さて、この2軒の料理屋とホテル。これが僕にとって「運命の扉」であった。(というように僕の中では位置付けている。)東京からの最終便で到着。空港のレストラン街も終了しており夕食に困っていた時、この料理屋の光が温かく灯っていた。その時食べた「まぐろ丼」に限りなく大きな力をもらった。その後に宿泊したのがこのホテル。重要な岐路となる”朝”に、フロントでタクシーを呼び出してもらった機会に出会ったのが前述したマネージャさんであった。このホテルが、僕の”もう一つのライフワーク”である野球に所縁(ゆかり)の深かったこともまた「運命」の一端を感じさせる要因でもあった。
ということで、この2軒の”運命の場所”に両親を招いた。不思議と今までできなかったような”人生談義”を具体的に両親と語り合うことができた。露天風呂と煮魚を大変喜んでくれた両親。一夜を過ごし翌日の昼食もまた海鮮料理屋に再び出向いた。自分という”人間”がこの世に存在する理由そのものが、”両親の出逢いと運命”である。それだけに僕が体験した「運命の扉」を紹介することで、親子の間に潜んでいた見えない糸がどこからともなく浮上し、語り合う言葉として意識化されたようであった。
変わらず、人との出逢いは大切にしたい。
なぜに、ある人と出逢いによって新たな意識が生まれるのか。
まったく説明できないような奇跡に身を委ねながら、
波間に漂う海鳥のような運命。
展望露天風呂から眺める太平洋が、僕という小さな存在を映し出していた。
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