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全体を構成する個々の「声」がある

2013-05-17
小学校の教室で聞こえて来る子どもたちの声。
始業の挨拶から元気のよい声が響き渡る。
発表となると「私は・・・だと思います。みなさんはどうですか?」
といった「仕方」が決められている。
それにまた「同じです。」と多くの子どもたちの声が呼応する。

教職大学院生の教育実習授業を参観した。小学校4年生を対象に「国語」の45分間が展開された。教科書の新しい単元作品に入る導入授業。指導者が「範読」し、学習者は判らない語句に注意しながら「聞く」という活動で始まる。模範となる音読を示しながら、学習者の状態を把握するのも難しい。何よりも指導者の音読が「目的」に適ったものでなければならない。その後、指導者を追いかけるように学習者の音読が行われる。新しい教材と出会う重要な学習活動である。

こうした教室全員で音読する際に、ぜひとも注意したいことがある。指導する側はもとより、読んでいる子どもたちも「個々の読みが集積して全体を構成している。」ということを何らかで意識化しておく必要性があるということだ。往々にして〈教室〉に響く全体の声に自らの意識が埋没し、流れに任せて自覚の低い音読になりがちであるからだ。場合によると、口は動いているが他のことを考えている者、殆ど教科書に目を向けているだけという者も現れかねない。(しかもその視点は様々な方向に向けられる)もちろん、この音読活動で内容や分からない部分を精緻に把握し、内容に即した音読をする理想的な子どももいる。

一人が個別に読むよりも〈教室〉全体での音読は、特に小学校の場合には達成感が伴う。小さな”合唱”をして「声が響き合った」ということを共有できるからであろう。だが、その達成感の背後で、意識が空洞化する恐れがあることを指導者は心得ておくべきであろう。あくまで〈教室〉全体を構成する「個々の声」があるということを自覚すべきだ。耳を澄ませば、その「個々の声」は全て違った発し方をしていることが判る。僕自身もこの日は、そんな「個」に耳を澄ませる場面が何度となくあった。

小学校段階の国語教育。
今まで僕自身もあまり「臨床的」に考究したことがなかった分野。
だが現場に行ってみると、これこそ大変重要であることを痛切に感じた。
「初等教育における音読・朗読実践構想」
僕に与えられた次なる大きな課題である。
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