座右に『求めない』
2013-05-14
研究室で資料を読んでいると落ち着かない気分になった。窓から遠景を眺めれば少々目の疲れには効用があるようだが、
ふと座右の書棚を見ると置かれていた小さな書物。
その名は『求めない』(加島祥造・小学館2007)
自然にこれ以上なく自然に手に取り久しぶりに一気に最終頁まで。
「求めない
すると
心が静かになる」
「あとがき」によれば、「私の胸中に「求めないー」ではじまる語群が次々と湧き出したー」とある。”タオイスト”加島の真骨頂ともいえる創作状況。「無為自然」あくまで「自然」に我が身を埋没させて、湧き上がる柔軟な心と言葉に距離を置きながら目を向け表現する姿勢。こんな作品を、僕は刊行された6年前から何度となく読んで来た。だがその殆どは、自らが喧騒の中に身を置いていたり、希求しなければ完全に埋没してしまうかのような状況下であった。それは、『求めない』を空想的な理念として理解し掌握したという思い込みにしか過ぎなかったのだと、昨日わかった。
加島が「湧き出した」と記すように、この書は、意図もなく噴出するかのように読むべきであろう。他の研究書の片隅に隠れるかのように置かれていた、大きな存在感ある小さな書物。「求めない」という言葉の連呼によるリズムが、自然と僕の心を柔弱に解きほぐしながら、飾らない剛強へと誘ってくれる。
「求めないー
すると
キョロキョロしていた自分が
可笑しくなる」
まったくだ。今ただ一点の研究資料を読むことしかできないのに、心は色々な空想地点を「キョロキョロしていた」。
「求めないー
すると
自分のリズムで
動くようになる」
自覚症状のない周囲の波長から受ける翻弄に、僕は溺れかけてやしないか。あくまで自然に「自分のリズム」で動けばいい。
「求めないー
すると
求めている自分を見つめる自分に
気づくんだ」
たぶん今までも、何度もこうして自分を自分で見つめてきながら、混沌とした感情の坩堝にまみれると見えなくなってしまう自分。心は成長して来ているようでいつでも幼い。否、成長しているという傲慢な思い込みこそ自分の大敵なのかもしれない。
こんな研究室での心のストレッチを終えた後、衝動的にこの事実を投稿すると、複数の友人から「私も(定期的に)読んでます。」というメッセージをいただいた。やはり「この人」ならという方々だった。「心が静かに」できる人、話した時にそれを感じられる人。
小欄を書く意味も、実は本日書いたことに日々「気づく」ためである。
しかし、人はその信念からいとも簡単に遊離してしまうことがある。
だからこそ、それを喚起する詩的言語が不可欠なのである。
「どうしてそんなに
求めるななんて言うんです?
それはなあ、求めないと、
気持ちがいいからさ!」
加島翁の声が聞こえて来る。
あらためて、お勧めする小さな一書である。
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