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そこではせめて一斉を求めるな

2013-05-12
ジムで最近新たに参加しているプログラム。
ZUMBAである。
コロンビアで使用されるスペイン語では、
「速い動きで楽しむ(お祭り騒ぎ)」(Wikipedia)といった意味であるという。
そこで考えたこと。

概略するならば、サンバ・サルサ・マンボ・ヒップホップ・ベリーダンス等の要素を組み合わせ、脂肪燃焼効果を高め身体を引き締めるフィットネスエクササイズである。僕が新たに通い始めたジムでは、比較的人気の高いプログラム。踊りながら楽しく参加できて、精神的な開放感も得られるといった要素により人気を博しているようだ。誰でもすぐに参加できて主眼は「楽しめばいい」ということ。たとえトレーナーの動きに付いて行けず、違ってしまっても問題なし。自分のペースで”それらしき”動きを継続しさえすればよい。

ジムでも話題になっていたが、「日本人は一斉の動きと違うと戸惑う」のであるという。トレーナー通りの動きを”しなければならない”という強迫観念が強く作用する。僕自身の今までのジムにおける経験でも、プログラムの主(ぬし)のような存在の会員が違った動きや声を出す人物に警句を発し、「同じように(自分の思うように)やれ」といった感覚を強要している場面に出会ったことがある。だが果たしてなぜ「一斉」で「共通」でなければいけないのか?ジムのプログラムは”一糸乱れぬマスゲーム”では決してないのだ。

学校教育現場で驚くのは、誰も事前に教えないのに「ラジオ体操」をほぼ全員ができるということだ。これぞ「国民的」という語彙の具体例として典型的な存在ではないだろうか。僕が生まれ育った町内でも、お寺にある幼稚園にて朝のラジオ体操が行われていた。町内で人気者の「エーちゃん」と呼ばれる言葉を発するのに障害を持つ方が、代表して朝礼台の上で見本の体操をしていた。彼は「ラジオ体操の歌」からみんなと同じように口を動かし、体操も見事に見本となっていた。子ども心に、彼の存在が好きであったのと同時に、障害を持つ方への理解の根底となった。小学校に行って気づいたのであるが、「エーちゃん」の行っていた「ラジオ体操」では「第2」のある種目の動きが違っていた。だが、僕は低学年のうち「エーちゃん方式」こそが「正しいのだ」という意地を張って、改めることなく一人でその動きを継続していた。特段、教師に怒られたりはしなかったと記憶するが、集団内で違う動きをするのは勇気がいる。その時は、さながら教師も周囲も僕を「トロいやつ」ぐらいに理解していたのであろう。だが僕は「エーちゃん方式」が好きだった。

「正しい」という基準とは何か?
統一感があり一斉でないといけないのか?
教育現場での「行進」や「マスゲーム」が行われる際に常々抱いて来た疑問。
統一感が損なわれると、特に体育教師は言葉を荒げて憤慨し厳しく指導する。
教育とは「横並び」で「一斉」に同じことをすることなのだろうか?
「国語」であるならば、統一した表現・理解でないといけないのか?
否!これが爾来の国語教育の最大の反省である筈だ。

ジムでZUMBAに参加する場合には、
そこではせめて一斉を求めるな。
こんなフィットネスプログラムが、
日本人の心性を少々でも改革してくれることを望みつつ今後も楽しもうと思う。
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