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古典教育における小中高の連繋を考える

2013-05-10
小学校では新しい指導要領が施行されて3年目。
中学校では2年目、高校でもこの4月から施行された。
「国語」という教科に関して大きな特徴を述べるならば、
「伝統的な言語文化」という「事項」について学ぶことが挙げられよう。
いわゆる「古典教育」が小中高校を通して行われるということである。

「古典教育」が”本格的”に行われるのは主に高校からであった。「本格的」というのは、「文法事項」を学び、自ら「古文・漢文」を解釈する力を養うことを意味する。その結果、高校古典の学習は、文法事項を教え込むことに偏向してしまい、「古典に親しみを持つ」という目標からはかけ離れたものになってしまっていた場合が多い。小欄をお読みの方々でも、「古典嫌い」であった方も多いのではないだろうか。ただそれは「古典」そのものが嫌いというよりも、「古典の授業内容」が嫌いだったのではないだろうか。「文法事項」の強制的な暗記、いわば意義を感じない事項を覚え込むことへの嫌悪感が先立っていたと推測する。

「古典学習」=「文法学習」ではない。小中高校を通して考えても、「古典に親しむ」という点がむしろ重要であろう。国際化の時代であるからこそ、自国の文化の伝統を理解し、多国籍な場においても自国のアイデンティティーが表現できる人材を育てなければなるまい。こうした目標を据えた時に高校段階に至るまで、小中学校での「古典教育」には大変重要な使命があるといってよい。その段階でいかに「古典に親しむ」学習を行うかによって、現行指導要領の成否が左右されるといっても過言ではないだろう。

先月、以前に同じ学校に勤務していた講師の先生からメールをいただいた。そこには娘さんの小学校でのことが記されていた。その先生は、ご自身で古典を大変愛好しているがゆえに、小学校で古典学習が行われることに大きな期待を抱いていたそうだ。しかし蓋を開けてみれば、娘さんの先生が「私は古典が嫌い」という態度を子どもたちの前で露わにして、『百人一首』をただ「覚え込む」だけという課題を出したに過ぎなかったという。そうした小学校古典学習に対してたいそう残念というか、憤慨に近い感情を抱いたという内容であった。これは一例であるが、果たして小学校の古典教育は、どうなっているのであろうか?

教員養成の観点からも、小学校の教員に「古典の専門性」を求めるのは難しい。ただ、僕自身も古典を専門とするがゆえに、せめて「古典に親しみ」を感じる教員を養成したいと強く思っている。ただ現実の小学校現場を鑑みるに、万能で多くの教科を指導しなければならない小学校教員は、教材研究の上でも実に多様で困難な状況があるといえるだろう。その上に「古典教材」、そして「外国語(英語)活動」と従来は、中高で始発となっていた教材を扱わなければならない。そこに専門性などは到底求められないと考えた方がよい。ならば、小学校での「古典教育」をどうするかという具体的な提案が急務な課題であると痛感している。もちろんその提案は、僕自身の責務でもある。

小学校の「古典教育」を位置づけるには、連接する中学校ではどのような学習段階に入るのかという位置付けを具体化する必要もある。僕が関係する中学校では、この点を今年度の大きなテーマとして、授業実践を通じて提案するという方向性が見えて来た。年末に向けて具体的な授業提案を先生方とともに創り出して行こうと考えている。

中学校の「古典教育」では、
どのような目標に向かい、
どのような方法で、
どのような段階まで教えるか?

自ずと小学校における「古典教育」のあり方も見えて来るだろう。
今年度の僕自身に与えられた大きな課題である。
今後の展開にご注目を。
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