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論評する力

2010-01-29

28日(木)朝から多くの文章に触れる。それは慶應大学の過去の小論文を解いてみた複数の答案に、講評を求められていたからだ。慶應大学の大半の学部は、入試科目に、いわゆる「国語」ではなく「小論文」を課している。「現代文・古文・漢文」という枠組みの中で、主に選択式解答が中心のライバル大学とは、対照的な入試形態であると言える。

 過去に出題された問題を見ても、かなり長大な文章を読解し要約等を施し、それを元に自己の意見に論評を加えて述べるというもの。自ずと文章読解力と、その裏返しである表現力の度合を測ることができる。それに加えて、主として近代から今現在に至る社会で、何が問題視されているかという内容が多いので、「社会」を考える視点で、様々な知識が必要になる。

 国際的な尺度に於いて、日本人の学力水準が甚だ低下している現状を顧みると、こうした入試が何より好ましいことになる。特に「読解力」と「表現力」そして「論評する力」が、経済大国であることに反比例し、坂を転がり落ちるように劣化しつつある国民なのだから。慶應のように小手先の技術で対応できない入試を課す大学は、他にもあるが、やはり独自な教育方針を掲げ、学生の実力も伸ばしていると思われる。入試のあり方というのは、その大学の教育そのものを見定める大きな指標であるには違いない。



 夕方から職場の外部組織の会合。この1月より進行役を請け負った。他の職場における代表の方々が、その現状を報告する。こうした組織の意義も、やはり働く者が問題意識を持ち、そこに論評を加えて、殻の外側から自身の職場を眺めるという点にあるはずだ。小さな殻の中で思考していては、生ぬるい水に浸っているだけになってしまう。

 会合の後は5〜6名の方々と新年会。公的な会合の中では語れない内容の話も聞けた。以前は、こうした活動が単なる負担にしか思えなかったが、こうして参加してみると、やはり「客観的な視点の確保」に繋がる。メンバーの中には、法律に詳しい方や、様々なご苦労を経て今に至る方がいる。「現場取材」というような考え方で、当事者の立場を冷静に見つめることができる。

 人生は、与えられた全ての場で学ぶことができる。その随所において、温室的な発想を以て暖まっているよりも、寒さを少しでも体感して、思考し論評する姿勢が必要ではないかと思う。

それが現状の日本社会に欠如し過ぎている。

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